二十歳を迎えたその日に缶ビールを飲んだら恐ろしいほどに不味かった。あれは人間の飲める代物ではない。一緒に買った缶チューハイもどうせだめだろうと飲んでみたらこれがなかなか美味しかった。さわやかで、甘くて、喉の奥でしゅわりと弾けるピーチ味。これはいい。大変によろしい。と、思っていたらなんだか大胆な気分になった。大胆な気分というより、今まで懸命にみずからの爪を隠していた動物が本来の獰猛さを露呈したときのような、なんでこんなふうになってしまうのだろうかと疑問を思う心すら残さないほどに不敵な気分になってしまった。後々思えば、3%のアルコール飲料で泥酔したのだった。酒は飲んでも呑まれるな。理解した。
「ねえ、昨日の電話はなに」
「…………き、昨日の電話と申されますと」
「とぼけるなこっち見ろ」
「ぬおお」
バレーボールを掴むみたいに頭をわし掴みにされて強引に視線をかち合わされた。目の据わっている月島くんはただでさえ平素より不機嫌を滲ませた表情がポーズの状態で決して温厚とは言えないというのに今となっては完全に怒っている。当然だ。誰だってぐっすり眠っているところへ安眠妨害としか思えない着信が入れば気分を害す。
「で、なんなの、昨日の電話」
「えっと。なんと申しますか、わたくし、本日二十歳になりまして、昨晩、初の、あの、飲酒を行いまして」
「そういうことじゃないんだけど」
「はい。そういうことじゃない、と申されますと一体」
「こっち見ろって」
「ぬおお」
うようよと泳ぐ視線を咎める月島くんに左手で頭を鷲掴みにされたまま右手で両頬をぐぐっと潰された。頭の痛みに頬の痛みが乗算されてもう泣きたい。いや、身体的痛みはこの際どうでもいい。そんなことよりもなによりも両頬を潰されて失敗したドナルドダックみたいなひどい顔を月島くんの目の前に晒していることが大問題だ。泣きたい。
「しゅきですってなんなのお前、ばかなの、死ぬの」
「はい。もう死にます。どうか許して下さい」
「はあ?」
「ぬおお」
端整なお顔の眉間に皺をめいっぱい刻み込んだ月島くんの左手がぎりぎりとわたしの足りない脳みそを締め付ける。二日酔いの頭にはなかなか拷問だ。けれどこのくらいの制裁がばかなわたしには丁度良いのかもしれない。お酒を飲んで、泥酔して、大胆な気持ちになって、いてもたってもいられなくて、深夜にも関わらず月島くんに電話して、告白した。たいそう運の悪いことに酔うと身体の制御が利かなくなることとは裏腹に記憶機能は低下しないらしく、残念ながらわたしは昨日のことを一部始終逐一丁寧に覚えている。明らかに寝起きととれる不機嫌全開のやや掠れた声で「なに」と言った月島くんに、美少女戦士にでも変身したかのような謎の勇気凛々で告白したのだった。吐き出した語句まで一字一句違わず鮮明に思い出せる。ちゅきしまくんがしゅきでしゅ、ぜみでいっしょになったときからあ、しゅきだったんれすよお。朝、起床した瞬間から二日酔いに悩む頭の上より降り頻く後悔は果てしなく、きっと今体重計に乗ったならば余裕で100キロを超えるに違いない。昨晩のわたしよ、お願いだから死んでくれ。れすよお、じゃねえよ。先程ゼミ教室で月島くんと顔を合わせたときに彼が何も言わないものだから、ああ、酔っ払いの戯言として処理してくれたのですね有り難や有り難や、と胸中で両手を擦り合わせていたらこの様だ。授業が終わり、逃げるかのごとく一目散に教室を出たら教室前の廊下で呆気なく捕獲され、抵抗も虚しくずるずるとあまり人通りのない階段方面へと連行され、今に至る。
「今もう一回言ったら許してあげる」
「うえっ」
頬を解放されて、思わずへんな声が出た。某鳩が豆鉄砲、の諺のごとく口をぽかんとまぬけに開いたままに月島くんを見れば、月島くんは微かに口の端を噛んでいた。頭のなかで都合の良い展開を好むわたしがひそひそとわたしに耳打ちする。両想いなんじゃないの、なんて。
「あ、えっと……」
ムーンパワーメイクアップなんて呪文を唱えても月の世界とはなんら関わりを持たないわたしが変身できることなんて超弩級の奇跡でも起こらない限り絶対にありえないのだけれども、それでも美少女戦士に変身したかのような面持ちでぐっと息を飲む。酒は飲んでも呑まれるな。だけど、この恋には呑まれたくて。ずっと。
「ちゅ、ちゅきしまくんがしゅきれしゅっ」
「………………」
「あ、あれ!?なにこれ想像してた展開と全然ちが」
「な!ん!で!昨日のまま言うんだよ!このっ……バカ!普通に言いなよ!バカなの!死ぬの!」
「えっ!だってもっかい言えって言うか」
「黙れマニュアル人間!」
「ぬおお」
足りないわたしの脳みそを月島くんがぎりぎりと締め付ける。痛い痛い。けれども、月島くんが笑った。