あなたをすきなだけたべたいの



 真っ赤なカーディガンが似合うと思う。

 テレビのにぎやかな笑い声だけがひびく静かな部屋、ローテーブルにはビールの缶と袋のあいたスナック菓子が散在している。
 飲もう、と誘ってきたのはさんだった。僕は人の誘いを安請け合いする方ではなかったのだけれども、今回に限って言えば、彼の誘いを断る理由などなかったのだ。
 時刻は日付変更線を越えて一時をまわったところ。明日もはやいからお開きにするべ、とさんがテレビのリモコンに手を伸ばす。独り身の僕には寂しすぎる帰宅だ、そう思うとあまりに惜しくて、

さん、さ」

 残り少ないビールを煽って、視界の端、彼が手を止めたのを見た。

「なに?タクシー呼ぶ?」
「ちがくて、」
「んん?」
「あのさ、知ってると思うけど僕、ガチじゃないし」

 自分の左肩を叩く。

「なに、急に」
「うん、酒の席だからさ、聞き流して」

 僕は女性が好きであったし、彼もまた、言うまでもない。ただ、きらびやかでしかし汗臭い世界に生きている。そんなところで男ばかりに囲まれて十数年も過ごしていくと、距離感やらも狂ってしまったようだった。だからビジネスと友情の管轄において、多少過剰なスキンシップも許されるのだ。と、甘えていた気がする。
 狂った距離感において、僕はさんを愛していた。しかしそれは特別に肉欲を孕んだものではなくて、純粋に、ライクがいきすぎてしまったラブである。そしてきっとさんも僕を、他の仲間にそうするように、愛してくれている。彼の感情はいつでも平等に見えた。

「ガチじゃないけど、でも、さんが女の人と結婚するのはちょっと嫌かも」
「そんなのもっと先の話だべ」
「否定しないんだ、……さん、そのときはちゃんと言ってよね」

 彼がうん、と頷いた。僕は空になった缶をテーブルに置いた。
 互いに誰のものでもない。そして今も昔もただ、ひたすらバレーの練習に打ち込んでいる。しかし誰にも所有されていないのなら、彼の何かをすこし、気づかれないくらいすこし、もらってもよいのだと思い込んでいた。自分のさもしいことにため息が出る。同性へ向けた愛情への線引きが甘い。
 当たり前だけれど、彼と僕は結ばれない。かなしくもなんともない、至極あたりまえの事実だ。

「今日どうしたんだよ、おセンチさんか?」
「なにそれさん、古いよ」
「もうお前、はやく帰れし」

 さんの手で、テレビ画面が暗くなる。いっそう静けさを増した部屋を彼が塗り替えてゆく。帰れ帰れとまくしたてて、ソファにかけたコートと、バッグと、僕の荷物をぎゅうぎゅうにおしつけてきた。
 廊下のないさんの住居は、たやすく僕を玄関に追いやることができるような仕組みだ。強く促されてスニーカーを履く。もったいぶって紐などを結び直しながら、あのスナックやビールの残骸を、彼はこれからひとりで処理するのだろうと考えた。そのとき彼は、僕の言ったことを思い返すだろうか。「そのときはちゃんと言ってよね」、じゃなくて、その前。

「タクシー大丈夫か、どこも寄り道しないで帰れよ」
「大丈夫、番号くらいわかるし、おやすみ」
「おやすみ」

 オートロックの扉はたやすく開いて、しかし閉まった途端にもう開かない。カチと鍵のかかる音がして、けれどさんが玄関から遠ざかる音はしばらく聞こえてこなかった。ようやく擦るような足音が聞こえる頃、僕は生温かい風を吸い込んだ。