さやかに星はきらめき



 仕事が終わり次第わたしの家にやってくると聞いてはいたものの、何時になるかは分かっていなかった。
 別にイベントごとを重んじるタイプにも見えず、どちらかといえば面倒がるタイプだと思っていたから少し意外だと感じたのも事実だった。最初だけするくらいなら全部しない方が習慣じみなくていいのではという意見にも彼は「いや、まあ、それはそうなんだけど……」とごにょごにょ濁してなぜか首を傾げるばかりで。自分の家でただ録画していたテレビを見ていればいい、作り置いていたスープを飲んで、魚を食べて、ご飯を終えた。
 一応、「無理しないでね」とメッセージを送った後、携帯を放ったまま、最近ハマっている三十分ドラマをぶっ続けで五話見た頃、携帯が鳴った。電話を取るまでもなく研磨だ、と思ったし、通話ボタンを押してみると、僅かに息を切らしたような声の研磨が「なんか欲しいものある」と訊いてくる。

「いまどこ?」
『まだ車、あともうちょいかかるけど』
「じゃあいいや」
『なに』
「いや、卵がもう無くて」
『……それは明日でいいんじゃない』
「うん」

 待ってるね、と言って電話を切ってから、研磨は何が欲しいと言われると思ったのだろうと考えながら一時停止させていたドラマをまた再生した。
 カーテンの隙間が開いていることに気付いて立ち上がり、忍び寄る冷気に眉を寄せながらカーテンをきちんと閉め直す。一瞬見えた真っ黒な闇の中でちらちらと雪が降っているように見えたのは、気のせいだったかもしれない。もしも降っていたら、デートをしているカップルは喜ぶだろうか、寒いからと嫌がるのだろうか、ぬくぬくとあたたまった部屋で悠々とココアを飲むわたしには想像がつかない。
 ホワイトクリスマスに対する憧れも特になく、なんとなくホワイトクリスマスというとホワイトチョコレートの味が彷彿とされる。あの真っ白くて、ちょっと舌がざらついて、割と好き嫌いが分かれるような、甘くてもったりした味。
 景色や思い出よりもそんなことを考えてしまうから、きっと情緒がないのだろう。砂糖すら入っていないビターな味のココアを啜りながら、進んでいたドラマを巻き戻した。
 ふと思い立って暖房の温度を少しだけ上げて、彼がやってくるのを待っていると二度目の電話が鳴った。

『いま着いたんだけど。下まで来れる』
「下?いいけど、ちょっと待ってね」

 もこもこの部屋着からラフな洋服に着替え、上着を取ってマフラーを巻いてマスクをして乱れていた髪を手櫛で梳かして、鍵を掴む。携帯をコートのポケットに押し込んだ後でエレベーターがまだ上の階に留まっているのを確認して、階段に繋がる非常口を開けて薄っぺらいスニーカーで下まで降りていく。
 思っていたより早かったかもしれない、とエントランスに飾られたわたしの身体より一回り小さいクリスマスツリーを眺め、律儀にマンションの出入り口の隅に立ちすくんでいる研磨の所へ駆け寄った。空を見上げる研磨の横顔が存外綺麗で、数秒意識せずに見惚れていたことを言うのも忘れてしまう程、先に彼がわたしの腕を強く引いた。

「雪」
「あ、さっき見た」
「えっ」
「さっきカーテン閉めた時に見た」
「絶対鈴子気付いてないと思ったのに」
「いいじゃん、研磨とは見てないからね」

 きちんと手袋をつけている彼の手を、わたしの何もつけていない手で包んでみるとやけにもこもこと分厚く感じた。手袋の表面は冷たくて、自分の手も同じくらい冷たくなっているのだと分かった。
 研磨はゆっくりと、嫌がっていると思われないようなやり方でわたしの手を離して、手袋を外した。手袋をコートのポケットに押し込んでから、またわたしの手を取って、ぼんやりと小さくて目を凝らさないと分からない、都内では積もらず直ぐに消えてしまう雪の欠片を黙って見つめていた。
 エントランスで輝く小さなツリーの点滅が背中から、わたしたち、その向こうの路上に映る。

「帰ろっか」
「うん」
「寒い寒い」
「見てないと思ったんだけどな」
「別にいいじゃん」
「まぁ、いいけど。ここはツリーあるんだね」

 小さな天使たちがたくさん下がっている、てっぺんに星の飾りのついたツリーを見て研磨は顔を微かにほころばせた。
 最上階にあるエレベーターはあとどれくらいで一階までやってくるのだろうとボタンを押しながら考える。
 「こんなのあったんだ」と感心したような声でまじまじとそのツリーを見つめる研磨の瞳に入った光の美しさに、またわたしは見惚れている。
 雪を見る横顔も、ツリーを見る横顔も、わたしだけのものだと、今日だけは自惚れさせてほしい。