Desire.5



 及川さんから「国見ちゃん!ねえ俺どうすればいい、ちゃんが!」と電話が来た時、ついにか、と俺は妙に冷静になってしまった。
 及川さんの焦りで逆に頭が冴えたのか、彼女と知り合ってからそこまで日が経っていないのもあったし、俺が見る彼女はいつも険しい顔で及川さんに暴言を吐く姿ばかりだったからかもしれない。それでも、こうなるしかなかったのかと無念を募らせ、どうしようもなく儘ならない気持ちになってしまって、目を強く瞑ってしまうくらいには、悔しいというか、悲しいというか、上手く言葉に出来ないけれど、彼女を思う気持ちはあった。
 惨い。理不尽だ。彼女の願いを、ただ俺一人が知っている。人を捨ててもいいと願った、その奇跡を。

「及川さん、今どこですか?」
ちゃんは北側の公園、あの、周りが潰れた工場ばっかの、俺は離れろって、でも、国見ちゃんに、」

 及川は走りながら話してるのか息が上がっているし、焦っているから吐き出す言葉は支離滅裂で上手く繋げられていない。そうして俺は全てを察した。

「じゃあそっから走ってるんですね。どこです?」
「国見ちゃんち、のほう、」
「分かりました。家にいるので今から行きます、公園の方から来てるんですね?」

 必要な確認だけをして、携帯を持ったまますぐに外へ出た。最初こそ俺がこの役回りをするしかないのかと少し不満があったけれど、恐らくは俺が良かったわけではなく、俺しかいなかった。きっと俺には計り知れない多くの葛藤もあって、それでも、及川さんのために、俺に託すしかなかったのだ。そして、それを俺は止められなかった。それこそが彼女の信頼全てだし、受け入れる覚悟をした。信用も信頼も見て取れるし、そういう人間らしいところがいじらしくも見えるし、及川さんが彼女を好きな理由でもあるのだろうと感じて、俺もひどく悲しくなった。

 及川さんと落ち会えたのは思ったよりも早く、及川さんの顔は汗と涙でぐちゃぐちゃだった。もう泣いているのか。そんな一言が脳裏に浮かんで、俺は自己嫌悪した。そっと自らの舌の端を噛む。これから、あまりにも惨いことを話すと分かっているのに、尊敬する先輩になんて酷いことを。及川さんはそんな俺の胸中を知る由もなく、もう、とにかく彼女を助けたいようだった。

「国見ちゃん、よかった、俺どうすれば、どうすればいい!?」

 ひどく狼狽している及川さんの肩をがしりと掴む。言うんだ、言わなきゃ。俺が終わらせるしかないんだ。俺が言うことでいっそ及川さんに恨まれてもいいと思えるくらい彼女の決意は悲愴なもので。聞いた俺がやらなくてはいけないことだったし、それで彼女が少しでも報われるなら、救われるなら。そう思ってあの時彼女に向かって頷いた。
 心臓の鼓動がいやに早い。唾液を飲むと焼ける様な喉が殊更に痛んだ。聞き取りやすいように、ゆっくり言葉を紡ぐ。

「落ち着いて聞いてください。最上さんはもう助かりません。魔法少女はグリーフシードが濁りきると魔女になり、自我を失い、魔法少女に倒される運命なんです」

 発声が震えた。及川さんの表情から、何もかもが抜け落ちた。そうしてわなわなと唇を震わせ、

「……何言ってんだ、何言ってんだよ!分かんないよ!」

 及川さんが言葉を荒らげることなんて滅多にない。それほどまでに混乱しているし、理解出来ていないし、理解したくはないのだろう。
 俺だって知らなかった。魔法少女の顛末がこんなにも惨い最期だなんて。知り合いの魔法少女、と言ってもとても遠い親戚だけど、一度だけ親戚の集まりで出会い、使い魔に襲われかけていたのを助けられ、成行きと生い立ち、そして全てを聞いた。もうそれからはずっと会っていないし、連絡を取る術も無い。彼女が願った奇跡は、

「魔女になったのを戻す方法はないの!?」
「ありません。何をしたってどうしたって魔女は魔女だし、もう最上さんじゃない」

 及川さんが俺の胸ぐらを掴みあげる。殴られるかもしれないのは分かっていたから、歯を食いしばるけれど、何も来なかった。乱暴に手放され後ろによろめく。

「……なんで……」

 及川さんはしゃがみこんでとうとう泣き出した。俺はこんな時でもずっと冷静で、いっそ共に泣き喚きたいとも思ったけれど、彼女のために、及川さんのためにこそ、俺はこうでいなければならないのだ。

「……見滝原に魔法少女がもう一人いるらしくて、あとのことはその人に任せてあるらしいので、……」

 近いうちにこうなることを分かっていて、何度も考えて、思い浮かべたのに。及川さんを傷つける練習をしたのに、結局、言葉がすぐに出てこなくなった。

「だって、ちゃん、いつも通りだったんだ、グリーフシードだけが、真っ黒で、どうして、なんで……」

 彼女は確かに、及川さんのことを愛していた。けれど、言えない、それだけは。あんなに意地になって、とうとうこうなってさえも、きっと彼女の口から及川さんへ想いを告げることは無かったのだろう。そうであれば尚更、及川さんがこんなに泣いていても、俺からは教えてあげられない。

「……ちゃんは、こうなるしかなかったのか?」
「……最上さんだけじゃなくて、魔法少女は願った瞬間から、決まっていることなんです」

 願いも奇跡も、身を滅ぼし、呪いを産み、自分自身を魔女に仕立て上げる。

ちゃんは、何を、何を願った」

 彼女の顔を思い浮かべる。ただの少女だった、願ったあの瞬間から、最期の最後まで、ただの、普通の女性だった。

「死にかけの猫を助けたいって」

 及川さんは充血して真っ赤になった目を見開き、しゃくりあげ、慟哭するように、声を上げて泣いた。

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