唇だけあればいい



「……眠い?」
「……ん?眠くないよ」
「ふっ、鈴子嘘ヘタだよね」
「眠くないってば」

 寒いね、と伝えたら待ってましたと言わんばかりに押し付けられたふわふわのブランケットは彼の好みからもわたしの好みからも少しずつ遠く、なんだかいらぬことを考えてしまうような色と柄をしている。いや、ただの思い過ごしだろうけど、と自分で自分の考えを一蹴しつつもやもやしているわたしは、そのおそろしくやわらかい素材と座り心地の良いシート、そしてちょうどよく保たれた温度から生まれた睡魔に時折飲み込まれそうになりながらピカピカと光る窓の外を眺めていた。

「あったかいねコレ」
「それなんかクロが置いてった」
「……あー、だからか」
「だからって?」
「研磨が選ばなそうな柄だなーって」
「そういうこと」
「てっきり昔のオンナが置いてったのかと」
「……言い方」

 ふっ、と空気を抜くように笑ったかと思うと、すぐに真面目か!とツッコミを入れたくなるほどに眉間にしわを寄せてすっと前だけを見据えてしまう。黙っている時はもちろんのこと、会話中もこちらをちらとも見ないその瞳がなんだか癪で、彼のこめかみあたりにじいっと視線を集中させた。彼が十秒以内にこちらを向いたら、彼の欲しそうな言葉を、言ってあげなくもない。

「……何?」
「何って何が?」
「ずっと見てるから」
「ずっと見てちゃだめ?」
「ダメじゃないけど、気になる」
「こっち見ないかなあって」
鈴子を?」
「そう、こっち見たらわたしの勝ち」
「ふはっ、それおれに言っていいの?」

 あ、やっと見た。十秒ぴったり数え切ったところで、細められた目の隙間から、猫のような金に近い瞳がやさしくわたしを映す。おれの負け?などと笑うその顔は、初めて会った時とは全く別で、わたしだけが見られる顔だなんて、自惚れたくなるくらいの。わたしは、赤信号で車が止まったのをいいことに、コーヒーが置かれたコンソールに右手を乗せて、そっと腰の向きを変える。そのきょとんと丸くなった瞳は無視して、少々かさついたその唇に自分のそれをそっと押し付けてやった。

「……急だね」
「わたしのかち」
「はいはい」
「お腹空かない?ドライブスルーないかなー」
「ファストフードでいいの、いつもみたいにカフェ行きたいとかじゃないんだ」
「車から出たくなーい」
「急なワガママ」
「研磨の運転ってなんか眠くなるよね」
「やっぱり眠いんじゃん」
「今そこじゃなーい」
「はいはい、退屈だってことでしょ」
「安心するってことだよ」
「それはどうも」
「……ムカつくなあ」

 まあ、髪の毛の間から少しだけ見えている耳が少し赤い気がすることには、気づかないふりをしてあげる。そのかわり、わたしの顔がとんでもなく熱くなってることにも気づかないでほしいな、と思うのだった。

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