恋愛の定義 前



「なあ、お前さ俺と結婚しない?」

 一週間前に黒尾から「しばらく会えなくなる」という連絡が来た。どちらにしても、その連絡が来る前も一週間に一度くらいのペースでしか会っていなかったから、一時間前に「今から駅前のマック」という連絡が来た時には「随分と短い『しばらく』ですこと」と思ったものだ。

「……はあ?」

 駅前のファストフード店で待ち合わせて、お互いにポテトとジュースを買って席に着いた途端、冒頭のセリフだ。わたしはポテトを食べる手を止めて思い切り顔を歪めるしかない。

「何言ってんの黒尾。頭打っておかしくなった?ていうかそのほっぺの大きなガーゼはどうしたの」
「頭は打ってねぇよ。これは彼女に鞄で殴られて、金具で怪我した」
「何それヤバッ。別れた方がいいんじゃない?」
「その時に振られたんだよ」

 あらまあ、随分と激しい元彼女さんなのね。試しに傷をガーゼの上からグリグリと押してみると、黒尾が言葉にならないような悲鳴を上げた。

「バカ!何すんだよ、痛ぇだろうが!死ね!」
「あははウケる」
「怖ぇな。鈴子の前ではもう二度と怪我できねぇわ」

 黒尾はブツブツ文句を言いながらポテトをかじる。まるで数秒前の発言がなかったかのような態度だ。わたしはまだびっくりしていて心臓の音が耳に届いて来るのに、黒尾はどういうつもりなのだろうか。

「黒尾ってすぐ振られるよね」
鈴子もじゃん。お前だけには言われたくない」
「なんで振られたの?」

 俺とその黒尾って男のどっちが大事なんだよ。
 黒尾と知り合って仲良くなってから付き合った彼氏には、毎回そう言われてみんな同じ理由で別れた。友達と遊んでるだけなのに何で怒るの?だって男とは言っても親友の黒尾だよ?そう笑い飛ばしても「お前は分かってない」と睨みつけられるだけだった。

「わたしとその鈴子って女のどっちが大事なの、って」

 もしかしたら黒尾の方も同じなのかもしれない、と思っていたら案の定だった。ならその頬の傷も元を辿ればわたしのせいということになるだろうか。それをグリグリ押すなんて悪いことしたかも。

「でもさ、答える暇なんて与えてくんないじゃん」
「まあ、そうだね」
「今までもそうやって振られてきたわけだから、俺は彼女に気を使ってお前と会わないようにしてたわけ」
「なーるほど、だからあのメールを」
「でも振られた」
「あんた一体彼女とどんな話してたの」

 コーラをストローでかき混ぜながら、黒尾は頬杖をつく。空中を睨むようにして記憶の糸を辿ると、ため息をついて肩を竦めた。

「わたしの話したんでしょー!?」
「だって『昨日何してた?』って聞かれて嘘つくわけにいかないだろ」
「もっと濁せよバカ!」

 罰として黒尾のポテトを一掴み奪う。だけど同じ理由で何度振られても、わたしと黒尾は電話をしたり、メールをしたり、会って遊んだり、ゲームで対戦したりすることを止めるつもりはない。だって恋人とイチャイチャするより黒尾と遊ぶ方が楽しいんだもん。だから今回の黒尾の行動は、わたしにしてみれば相当彼女を大切にしている行動として写った。

「で、思ったんだよ」
「何を」
「無理して付き合うことなくないか」
「は?」
「そこまで無理するくらいなら付き合わない方が楽だわ。で、俺はお前と結婚する」
「待って!またその話を持って来るの?なんで!?どうしてそこまで飛躍した!?」

 忘れかけていた時に話を蒸し返してくるものだから、わたしは思い切りむせた。しかも理由がおかしい。ていうか飛びすぎ。

「理解のある人と付き合うのではなく!?」
「理解あるったって無理だろ。そもそもいねぇし」
「ていうかわたしたち付き合ってもいないのにいきなり結婚とか何それ!?」
「あーやっぱ指輪とか欲しかった?」
「違う!いや、指輪は欲しいけど、今はそういう問題じゃないから!」

 そもそもわたしたちは恋人じゃない。もちろん恋人らしいこともしたことなんてない。無理矢理カウントするならば、大喜びした時のハグくらいなものだ。

「俺たち以上に分かり合える相手っているか?」
「全世界の男と付き合ったわけじゃないから分かんない」
「けど現状は俺だけだろ?なら結婚して一番居心地いいのって俺なんじゃねぇの?」
「でもわたし別に黒尾のこと異性として好きじゃないし!」
「好きじゃないと結婚しちゃいけないわけ?そんなの誰が決めたんだよ。好きでもない相手と結婚した人なんて数え切れないほどいるだろうが」

 そりゃあ、昔はそうだったかもしれないけど!現在のわたしたちの生活からしたら絶対におかしい。わたしは黒尾が本気で狂ったのじゃないかと心配になり始める。彼女に鞄で殴られた拍子に、頭のどこかのネジが外れたのかもしれない。そう考えてしまうくらい、黒尾は驚くほどしらっとしているのだ。

「こ、こどもはっ!?」
「いる?俺は別にいらない。あ、でもお前がいるって言うなら別にセッ」
「黙ろう!」

 質問を間違えた。黒尾はこう言う男だ。わたしは本気で頭を悩ませる。

鈴子さ、常識に囚われすぎ」
「は?」
「頭空っぽにしてさ、俺と結婚すること考えてみ?そんなに嫌?」

 何を言っているんだこいつは、と思うけど、黒尾の言うことにも一理ある。常識的に考えたら有り得ない話だけど、少し想像してみればそれほど嫌じゃない。寧ろ楽しいんじゃない?とすら思えてきてしまう。

「なあ、俺と結婚しよう」
「待って、ごめん。頭が追いつかない」

 わたしが頭を抱えて俯くと、黒尾の手が髪を撫でる。わたしが落ち込んでいる時とか、黒尾はいつもそうしてくる。でも今日は意識しすぎて思わずその手を払ってしまった。悪いことをした、と思って顔をあげれば、ニヤニヤ笑う黒尾の顔が飛び込んでくる。

「ほら、もう俺のこと男として意識し始めてんじゃん」
「お前マジで調子乗んな」

 でも黒尾の言う通りなのだから困ったものだ。どうしよう、とわたしは本気で悩んだ。結婚なんて数分前までは全く予定していなかったから、心の準備も何もできていない。

「一週間やるよ。一週間待って連絡して来なかったら探し出して襲うからな。で、責任とって結婚してやる」
「何それ!?意味分かんないんだけど!?」
「だから俺と結婚するかしないか、ちゃんと決めて俺に伝えて」

 黒尾が微笑む。意味の分からないことを言っているのに、顔面はイケメンすぎる。ヤバい、プロポーズフィルター越しに黒尾を見るようになってきてしまった。

「じゃあ俺帰るわー」
「え、何で」
「何、そんなに俺と離れたくない?」
「黒尾のキャラ変が凄くてついていけないんだけど!?」

 もしかして新手のドッキリか?ここでわたしがイエスと答えてしまったら、死ぬまでバカにされるんじゃない?

「俺は本気だから」

 わたしの心を読み透かしたように黒尾が言う。立ち上がった黒尾を見上げると、顔をぐいっと近づけてきた。

「……何」
「一週間、この顔忘れんなよ」

 何言ってんの、意味分かんない。そんな言葉を返そうとしたのに、一瞬で唇を奪われてしまってわたしは固まる。え、何?待ってこいつ今何したの?

鈴子は俺と結婚するよ、絶対に」

 じゃあな、と手を振られて、わたしは呆然としたまま手を振り返す。何だ、何が起こったんだ?
 ポテトがどんどん冷めていく。オレンジジュースの氷も溶けていく。
 その日は寝ても胸の高鳴りが止むことはなかった。