「伊澄が女の子だったらなあ」
目を細めてそうのたまった木兎の鼻をつまんで、ばかなこと言ってんなよ、と言うと、木兎は笑うが俺の心はゆっくりと曇っていく。木兎はかわいい女が好きなのだ。きれい、きれいと言われてきた俺の顔が好きなのだ。ただそれだけの事実はこの教室にはあって、欄をすべて埋めた学級日誌を閉じると鞄を持って立ち上がった。俺に続いて木兎も立って、そのまま二人、俺のクラスの担任のところへ寄って帰る。
「日誌見たけどさー、伊澄が日直の日はひらがなばっかりだな」
「うっさい」
木兎とは一度として同じクラスになったことなどないくせに、まるでずっとクラスメイトのように接してくる。なれなれしいというよりは、人懐っこい。元気で、子供っぽいと言われることのほうが多いけれども男らしくて、梟谷のバレー部を牽引する主将様だ。俺よりも大層高い身長で、隣で笑う木兎には心をゆるしきっている。
「あーあ、ほんとに伊澄が女の子だったらなー」
「おまえほんと、何回言うのそれ」
*
「今日中にもう一回言ったらしばく」と伊澄が言うので両手で口を押えると、伊澄は「ぶは、なにそれ」と笑って、その笑顔がたまらなく愛おしいから見てないふりをして横目で見る。伊澄だってこっそり俺の横顔を見ていることがあるから、俺だってこのくらいいいだろ。
伊澄が女の子だったら。これはもうぜったいにかなわないことで、俺がこれを口にすることを伊澄は嫌がる。
伊澄はきっとわかってないからなあ。もう一度声に出したら今度こそ本当に怒られるようなので、俺は咽喉の奥のほうで、飲み込まないように言葉をつくった。伊澄が女の子だったら。
俺は彼が好きなのであって、別に伊澄みたいなきれいな子がいたら絶対に好きになるというわけでもないだろうと思う。伊澄にはわからないだろうな。なあ、お前が女の子だったら、力ずくでも俺のもんにできるのにな。俺は毎日何百回という呪文を ずっと咽喉のところに飼っている。