冷めた瞳が燃える瞬間



 彼女が、いつもあまり好んで通らない繁華街の明るい光の方を指して「ちょっといい?」と言った。
 久しぶりに入ったゲームセンターはパチンコ屋には劣るものの時間帯のせいもあってか、自動ドアが開いた瞬間に音が渦のように流れ込んでくる。リズムゲームの音や、UFOキャッチャーにチャレンジしている酔っぱらった集まり。
 いつの間にか目的のぬいぐるみの所まで一人で辿り着いている七宝の頭の先を見つけて(こういう時に背が高く生まれて良かったと思う)、人の波に流されないように向かって歩く(こういう時に背が高く生まれたのは不便だと思う)。財布がやけに小銭でじゃらじゃらとしている、と先程コンビニに寄った時に思っていたけれど、このための準備だったらしく、なんの躊躇いもなく百円玉を5枚機械に押し込んだ。
 ちいさいスポットライトが回転しているみたいな煩わしい光をものともせずに、よく分からない、けれど見覚えのあるキャラクターを俺は見つめる。両手で持てるサイズのそのぬいぐるみを、アームはひょいと持ち上げてよろよろと運んで落とし、口にはまだ程遠い距離でぼたりと落とした。ああ、と声を漏らしているのは俺だけで彼女は黙々と二回目に取り掛かっている。じわじわと、アームの両端をひっかけるようにして落とし口に近付けていく横顔は笑ってしまう程に真剣だ。その辺りで俺はやっと、そのぬいぐるみが彼女が最近ラインのスタンプで送ってくる猫のキャラクターであることを思い出した。ぬいぐるみになるくらいには有名なのだろう、3回目か4回目で集中力が切れたらしい彼女が見慣れた和らいだ顔で俺を見た。

「侑もやる?」
「うん?あー、おう」
「侑の方がうまかったりして」
「いや、俺全然やらへんからな」
「お手並み拝見」

 立ち位置を交換して、俺は右に向いた矢印のボタンから順番になんとなくで押していく。透明なUFOキャッチャーのプラスティックのケース越しに映る彼女の顔は、やけに幼く見えた。照明がきっと強すぎるのだ、目の中に入った光のせいで、プレゼントを待つ子どもにしか見えない。
 アームの爪がぬいぐるみの頬の辺りを撫でて、ひっかかったぬいぐるみが左に小さく傾くものの、彼女の動かし方には叶わない。どやすでも残念がるでもなく、テレビで聞こえる声みたいに「あー」と芝居じみた残念そうな声が片側から聞こえる。
 残り回数を彼女に譲り、俺はそっと真後ろにある両替機で千円札を五百円玉に両替する、千円札が丸いコインになって、この空間では一気にお金という概念が薄まっていくような気がするのはただの麻痺だろうか。

「侑?」
「あかんかった?」
「うん、でももうちょっとしたら取れそう」
「俺もっかいやってもええ?」
「いいけど、欲しいの?」

 見当外れな言葉に俺はちょっとだけ唇の端を上げて、彼女に五百円玉を一枚握らせた。最初からこれが目的だと知っていたら、いちから俺が挑戦したというのになんとも言葉足らずな彼女である。
 俺はコインなのか硬貨なのか分からなくなってきている大きな一枚のそれを機械に入れる、チャレンジ回数が六回になったのを確認してアームを動かす。こんなことを行うのはいつぶりだろうか、ケースの端に張り付いている七宝の視線や、「おぉ、うまい」「おしい!」「もうちょっと!」というような声を聞きながら俺は黙々とボタンを押す。久しぶりに行う上にクレーンゲームが得意なわけではないけれど、じりじりと積み重ねる行為は嫌いでは無い。
 自分で両替した五百円玉が財布に想像よりも多く残る程度の早さでぬいぐるみは落下して、俺は屈んでそのぬいぐるみを手に掴む。ゲームセンターのぬいぐるみは取るのにお金が掛かる割に、固い、綿なのか生地なのかどちらともなのか分からないけれど。けれど、その猫を目の前に差し出した彼女の目はきらきらと、照明のせいとは言えない色で輝いている。

「すごい、ありがとう」
「……いや、下手やったな、俺」
「確かに上手くはないかも」
七宝、」
「でも、めちゃくちゃ嬉しい、めちゃくちゃ大事にする、嬉しい」

 彼女が胸の中でその俺は面識の殆どない猫をぎゅっと抱きしめて、「危ない、化粧つく」と言ってすぐに離れる。UFOキャッチャーの横に据えられていたビニール袋を一つ引き抜いて、彼女は丁寧に袋にそれを入れた。嬉しい、という独り言を零す横顔があまりにも言葉通りの顔で、俺は小銭で嵩んで重くなった財布の事もどうでも良くなる。
 思ったよりもぬいぐるみを取るのに集中していたのか、袋に収まって猫が見えなくなった一瞬、ふう、と空気が抜けるような感覚を覚えた。ビニール袋を手に提げてゲームセンターを出ると、音の落差に耳がキンとする。通常ならば何も感じない夜の繁華街はいやに静かに感じられて、そのしんとしている世界で七宝がちいさく呟いた。

「自分で作るより、人が作ったご飯の方が美味しいっていうじゃん」
「……そうなん?」
「そうそう、でも、ご飯はご飯なんだから別に変わらないと思ってたんだけどそうでもないね」
「ふうん」

 分かったような分からないような声で俺は返事をする。分かってる?と訊かれなかったから、何も付け足さないで生ぬるい春と夏の間の風を浴びて歩いた。ビニール袋の中で猫が揺れているのか、しゃらしゃらとこすれるような音がする。
 もうすぐ夏かな、彼女が呟いて、俺は何かを答えた。
 街灯が照らす彼女の輪郭を眺めて、しゃらしゃらというビニールの音と、二人の重なる靴音を聞いている。叶うならば、この五感でいま感じている全てのものをずっと身体すべてに納めていたい。
 等間隔に置かれた明かりを伝う様にして、二人で同じ場所に帰っていくために進んでいる。自分で取るぬいぐるみより、俺が取ったぬいぐるみに価値がある、と言いたかったのだろうか、ふと俺は気付いた。鼻歌を歌いださんばかりの七宝の例えは、俺には分かりにくいことも多い。
 なんとなく、癖になってしまいそうだ。新しく覚えてしまったこの感情を抑えないと部屋がぬいぐるみだらけになってしまう。これは別に好きじゃない、とか、もうまたやってきて、と意外とシビアに怒ってくるであろう七宝が今日だけは純粋に、単純に喜んでいる。
 夏やな、と俺が呟くと、七宝が「返事遅ーい」とまた歌う様に言う声が響く。しゃらしゃらと、夜の、ぬるい風の中で。