キューカンバーサンド



「わたし子供の頃、きゅうりって食べれなかったの」

 わたしがそう言ったら、一郎くんは大きな目をさらに大きくして、たいそう不思議そうな顔をした。彼の手には今まさに、アフタヌーンティーセットの注文を受けてキューカンバーサンドを作るべく立派なきゅうりが握られている。いつだったか一郎くんのお祖父ちゃんである前のオーナーに聞いた話では、なぜかイギリス人はアフタヌーンティーにきゅうりだけを挟んだサンドウィッチを添えるのだという。その話を聞いたときは、イギリス人には美食の観念がないという一説は本当だったのかと得心が言ったくらいに衝撃を受けた。きゅうりだけって、そりゃいったいどうしてまたそんな、と突っ込まずにはいられない(かっぱ巻きの存在は完全に棚に上げておいて、だ)。

「なんで?」

 首を傾げながらも、一郎くんはきゅうりを縦にきれいにスライスしていく。近所の川沿いの美味しいパン屋さんの食パンも、同じようにスライスされた状態でバターを塗られるのを待っていた。手を休めることなく、けれど時折視線をこちらへ向けることも忘れずにいてくれる。一郎くんはほんとうにできた子だと思う。

「西瓜の皮の部分に近いとこ、あの辺の味がするなあって思ってたのね」
「あの辺の、味、……」
「そうそう、あの辺の、するんだかしないんだかわからないような、青臭い味?」
「散々な言われようだな」
「みずみずしいのもね、なんとなく駄目だったの」
「ふうん、」

 スライスしたきゅうりを、丁寧にバターを塗った食パンの上に並べて塩を振る。ふたをするようにもう一枚食パンを重ねて、一度きゅっと押してから包丁を入れて四分の一にカットする。わたしは、一郎くんがサンドウィッチに包丁を入れる瞬間をいつも楽しみに待つのだけれど、キューカンバーサンドの時だけは別段楽しみに思うでもなく、ぼんやりとそのきれいな指先の方に楽しさを見出しつつ見つめるのだ。
 レタスがたっぷり挟まれたサンドウィッチであれば、包丁を入れた瞬間になんともいえない幸福な音を立てるのだ。シャク、ともジャク、とも聞こえる、みずみずしい良い音を。けれど、キューカンバーサンドの時には特に鼓膜が欲する音はしない。断面の黄緑色のうつくしさは、まあ、素直にきれいだなとは思うけれど。

「食わず嫌いじゃないのが、さんらしいな」

 "らしい"というその言葉を聞いて、わたしは心臓がどくんとからだの外へ飛び出したのではないかと思うほど大きな鼓動を叩いたことに驚いた。わたし"らしい"、そう言ってもらえるほどに、一郎くんの中に"わたし"という存在がしっかりと刻まれているのだということが、なんだかとてもうれしいと思ったのだった。

 東京から喫茶店を継ぐために赴いてきた時、一郎くんは恋人と別れたばかりだった。遠距離は無理だからと彼女の方から別れを告げてきたそうだ。それならば、その彼女は今なにをしているのかといえば、大学を卒業後に第一希望だった東京の企業に就職したものの、この不景気の煽りを受けてか入社早々地方へ異動となってしまったとかで、愚痴の電話が週に二度の頻度で掛かってくるのだと、一郎くんは以前困ったように笑っていた。
 でも、一郎くんは彼女のこと好きだったんじゃないの?わたしがそう訊けば、一郎くんはなんとも読めない顔をしていたけれども「地味でおもしろみのない男だって言われちまったからなあ。デートらしいデートもしたことねえし、ほとんど弟たちに構いっきりだったから」と苦笑していた。ちっともそんなことはないというのに。
 思えば、そんな話もここ数ヶ月はめっきり聞かなくなっていたのだけれども、その後、例の彼女とはどうなっているのだろう。

 一郎くんは、もしかしたらきゅうりのようなひとなのかもしれないと、ふと思い至った。さっき散々に言ったばかりでそれはないだろうと思うなかれ。それはあくまでも子供の頃の話なのだから。今のわたしにとってはお漬物にしろサラダにしろ、なんやかんやときゅうりは食の大切な一部で欠かせないものだ。みずみずしく青臭く、なんだかいつも新鮮なようで、そんなところがまるで一郎くんみたいだと思う。なんの変哲もないし、派手さもなければ自己主張もしない。無意識に手に取ることはあっても、今日は絶対にきゅうりを食べるぞ!などと思うようなものでは、決してない。けれども、冷蔵庫にないと途端に恋しくなるしそのありがたみやすばらしさに気付く。
 一郎くんの存在が、わたしのささくれだった心やモラルハラスメントにまみれた日々を支えてくれているように、だ。こういう時、不思議だなあといつも思う。一郎くんとだから、こういう日常にありふれた些細なひとつひとつのことにいちいちなにかを感じたり意味を持たせてみたりするのだ。たとえばそれがサブウェイで雑多にぎゅうぎゅうと小さなパンの切り口に押し込まれてゆく山盛りの野菜であれば、別段なんにも感じないだろう。ただ、食べるときにどれだけ大きく口を開ければいいんだろう、なんてことをぼんやりと思うくらいだ。

 一郎くんと過ごせる、このちいさな喫茶店の中のひとつひとつだからこうして思いを馳せるわけで。そこのところをたぶん、というか絶対、この純朴青年は気づいてなんかいないわけで。

「一郎くん、」
「ん?」

 ティースタンドにきれいに飾られてゆくキューカンバーサンド。その下の段にはお手製のスコーン。それから、たっぷりのクリームにいちごが添えられたケーキ。そして白い陶器のカップにはたっぷりのクロテッドクリームといちごジャム。完璧なそれを、よしと満足そうに見つめていた一郎くんがこちらを振り向いた。

「でも、いまはきゅうり、好きよわたし」

 唐突にそんな事を言っても、一郎くんはきょとんと目をまるくした後でふわりとやさしく微笑んでくれる。ちょうど沸いたケトルの火を止めて、しゅんしゅんと上がる湯気の向こうで「それはそれは、」と丁寧に驚いてくれる。

「苦手を克服したんだな」
「よいきゅうりにめぐりあえたのよ、たぶん」

 アフタヌーンティー用の茶葉を用意する、そのきれいな指先が、どうかいつかわたしの手をつかんでくれますように。こっそりと、そんな事を願ってやまない。
 なんだか意地悪な考えだけれども、一郎くんの前の彼女が一郎くんのすばらしさに気づいてくれなくて良かったと思ってしまった。遠距離だろうが異動になろうが、もしもわたしが一郎くんの彼女だったとしたら、絶対に一郎くんとの関係をどうにかこうにかして続ける道を選ぶだろうし、もし選べなかったとしても、絶対に自分からは彼を手放そうだなんてしないと思うから。
 たとえ派手さがなくても地味だとしても、一郎くんにはあたたかさがある。じんわりと沁みいるようなやさしさがある。まっすぐに見つめてくれるやわらかくてきれいな瞳がある。ひとを思いやれる懐の深さがある。そんな素敵なひとを、わたしは二十数年生きてきて初めて知ったのだ。一郎くんに今、恋人がいなくてよかったと、心からそう思う。

 青臭いきゅうり、みずみずしくて、淡い味。
 そんな初恋みたいな薄い青緑の恋をしているだなんて、まったく自分もまだまだ若いじゃないかと、どこか誇らしくさえ思うのだった。