しみ透る光



 毎週、同じ曜日の同じ時間に、いつも同じ喫茶店で決まった飲み物と食べ物を注文することになった。
 毎週というのは半分正確ではなく、ほぼ毎週だったこともあったけれど、二週間に一度の時もあるし三週間に一度のペースになることもあるといったところだ。
 体調を崩して、すわ入院かと思ったところ、周期的な通院と服薬で持ち直すことになったのは不幸中の幸いだった。職場の人々もおおむね好意的で、わたしは学校を早引けしている時のような気持ちでその喫茶店に向かう。朝一番の診察後だとしても、病院の真横に作られたひとつだけの小さな調剤薬局がいやに混んでいることには一番最初から気付いていた。
 だからすぐに時間潰しのための店を探したし、目の前にあったという理由だけで入ったその喫茶店のミルクティーとサンドウィッチと、なにより古臭い店構えが常に通いたくなる程度には好ましいものだった。いかにも昔からあるシャンデリアのような形のライトや、水槽の中を泳ぐ色鮮やかな熱帯魚や、大きすぎる花瓶に活けられた豪奢な生花。サンドウィッチはパンに軽く焦げ目をつける程度に焼いてあって、チーズとハムとトマトが挟まっている。ミルクティーは牛乳の味が口のなかを少しざらざらさせて、けれどその古風すぎる味がお店やサンドウィッチに合っている気がした。
 もしこれが駅前や大通りによくあるチェーン店だったら同じものを食べ続けることはついぞなかっただろうな、といつもと同じ席から床をぐるりと囲むように敷いてある赤い絨毯を見つめる。
 今日は二週間ぶりの来店で、次にここを訪れるのは一週間後だ。やけに熱いサンドウィッチの具を零してしまわないようにそっと口に運ぶと、パンの熱によってぐずぐずになったトマトの甘酸っぱい味が広がる。焼いたパンに染み込んだトマトの味も、少ししか伸びない固めのチーズも、薄っぺらいハムの味も、なぜか特別美味しく感じた。大きすぎる丸テーブルのど真ん中によくわからないオブジェが飾ってあり、内向きに椅子が並べられている。荷物もたいして多くないのと、そのよくわからないオブジェがなぜか気に入って、わたしはいつもその一人がけの席で食事をする。だいたい三十分もすれば薬は受け取ることが出来るので、わたしはあまり長居することもなくお会計をして店を出ることにしていた。半分に残ったミルクティを飲みながら腕時計を見ると、いつもより些か早く食べ終えてしまったらしく、背もたれに身体を預けて鞄から文庫本を取り出す。
 本を持ち歩く習慣も、通院と同時に生まれた。時間を気にしながら数ページ読み進めた所で隣の椅子が引かれて、ライトの光で透けた色のせいか一瞬クリームソーダかと思うような髪の男の人が隣に座った。多分人目を惹く容姿であることを自覚しているのだろう、堂々たる様子で長すぎる足を組んで注文を済ませる。
 ぱらり、と本のページを捲る音、いつも店で流れている聞いたことのない海外の歌の音量は低すぎる。あと五分くらいだろうか、ちらり、と腕時計に視線を動かした。

「よぉ会いますね」
「……はい?」
「すんません、いきなり」
「……、いえ、」

 わたしは文庫本の間に手早く栞を挟んで、けれど本自体まで閉じないように片方の親指で本を支えた。顔を上げてまじまじと見つめてみるけれど、はっきりとは思い出せない。ただわたしが通院するようになってから、全く同じ曜日の同じ時間にしかこの店には来ていない。見覚えのない顔だけれど、何度も記憶を引っ張り出して見ても、やっぱりわたしは思い出すことが出来なかった。まぁ、本人がそう言っているのだから、よく会うのだろう。あと五分もなく会計をする身の人間と、注文したものがやってくるまで手持ち無沙汰の人間の、取るに足らない世間話だ。

「毎週では無いんやけど、ボクがおる時は大概いてはるから」
「向かいに調剤薬局あるのわかります?」
「あー、はい」
「あそこ、凄い混んでるんですよ、だからその間にお昼食べてるんです、いつも」
「そうやったんですね。……体調は、どうですか、なんや不躾にすんません」
「そんな大病でもないので。最近は月一くらいの通院になりましたし、だいぶ良くなりました」

 「それは」と細い目を更に猫のように弓なりにしてどこか安堵の表情を浮かべた彼が言うものだから、「良かった」という言葉が続くのかと思えば曖昧な笑みだけが返ってくる。別に愛想のよいレスポンスだとかパフォーマンスを求めているわけでもないとはいえ、お茶を濁された違和感が残る。
 ミルクティーは甘く、一瞥するように視線を落とした先にある時計の針はもう店を出る時間を示していた。席を立つために彼と反対側に置かれた伝票を目で探して手を伸ばす。まだ彼のテーブルには水しか来ていない。朝は前を通る時に覗いた限りしんとしているこの店も、お昼時だけはてんてこ舞いなのだ。
 伝票を挟んだプラスティックの、半透明茶色のバインダーを人差し指で引き寄せて撫でる。なんでだか席を立ち辛くて、けれど代わりになるようなうまい言葉も思い浮かばなかった。

「ボクも、よぉこんくらいで空き時間になることあって」
「毎週ですか」
「毎週、この曜日ですね」
「毎週来るんですか」
「いや、誰かに飯誘われへんかったら一人で」

 テーブルの腕で指を組んでいる爪の形は丸くて白い部分が一ミリくらいだけ見える、いかにも男の人の手。やっと注文していた飲み物だけがテーブルに置かれて、小さくお礼代わりに頭だけを下げた彼の髪がさらりと揺れる。はじめに一瞬クリームソーダのようだと思った髪は予想と違い明かりのせいなんてことはなく、実際は濃度の違うメロンソーダのような毒々しい程に鮮やかな緑色をしていた。

「ほんまは一人で飯行くの好きとちゃうんですけど」
「、はい」
「行く度にいてはるから、なんか、今日もおるんかなって気になって」
「わたし、ですか?」
「……よお考えたら、ヤバイこと言うてますね、ボク」

 へにょりと眉を下げた彼の睫毛が存外長いことに気付くのと同じタイミングで、彼の言葉に関西特有の訛りが含まれていることに今更ながら気がついた。
 会話の応酬を繰り返している間に文庫本は閉じられてテーブルに置かれているけれど、そんな記憶もない。しっとりとした、わたしが思う関西の人の話のスピードよりも比較的遅い話し方は多分、意識的なのだろう。
 「そういうことありますよね、通勤の電車とか」、わたしは言った。通勤電車でよく見かける人の例えは個人的には渾身のものだったのだけれど、彼にはあんまりぴんと来ていないらしい。けれど否定的な意味でないことは伝わったようで、成人した男の人にしては幼い笑みが浮かぶ。

「次は何週間後ですか?」
「来週、ですね」
「大変ですねえ」
「続くときもあれば、空くときもあるので、まぁまぁですね」
「来週かぁ」

 彼のテーブルに、注文していた料理が運ばれてきて、また彼が会釈をする。トラガスにつけられたささやかな黒いピアスがライトの光に反射してきらりと光った。片方だけなのか、両方についているのかはわからないけれど、多分両方だろうな、となぜか直感的に思う。
 顔立ちは上品なのに意外とごてごてとしていて、けれど全然下品じゃない人だな、と思った。
 わたしは半透明のバインダーを掴んで立ち上がる。「じゃあ、また」半分本気で、半分は愛想みたいな感じで。彼は秀麗な笑みを浮かべて「ほな、また」と言った。
 鞄を持って、文庫本を収めて、財布を取り出して、携帯が上着のポケットにあることを確認する。
 また、会うのだろうか。来週、もしくは別の週に。どちらでもいい、とは言い切れないなぁ、と赤い絨毯がわたしのヒールの踵を包み込んで音も一緒に飲み込んでいく。
 彼の名前を聞きそびれてしまった。その事実に今更ながらに気付いて首だけでちらりと振り返ると、姿勢正しく食事をする名も知らぬ彼の首筋がやけに冴え冴えと見える。