世界は悲鳴も上げないが



 ふと目が覚めると胸に違和感があった。

「アナタなぜこんなところにいるの」
「……、おはよ」

 昨日わたしは仕事から帰ってお風呂に入ってご飯を食べながら録画していたテレビ番組を見て一時過ぎには寝る、という至って普通の生活をしていたはずなのに。起きたらそこには昨日までいなかったはずの三郎がいた。きちんと家に置いてあったスウェット(このあいだ当然のように彼が持参してきた)に着替えていて、わたしの身体にぐるりと細い腕を回して抱き枕のように抱えている。全然身動きが取れない。久しぶりに見た彼は、なんだか少しやつれているような気がした。

「おはよじゃなくて。あんた仕事だったんでしょ」
「んー」
「なんでこんなところに居るの」
「えー?」
「曖昧な返事ばっかりしてんじゃないよ!」
「うるさいな、わざわざ僕が会いに来てあげたんだから感謝しなよ」
「あなた昨日『だるい、寝る』って言って電話ぶち切りましたけど」
「だから寝てるんじゃん」
「いやそりゃ寝てますけど」

 とりあえずこの体勢をどうにかしようと身じろぐと、彼はさらに強い力でわたしを抱きしめる。待って痛い痛い、背骨折れる、身体が山折りになる。その細腕のどこからそんな力が出てるんだ、ていうかちょっと待ってこいつわたしのことガラパゴスケータイかなんかと勘違いしてない?ちょっと、と窘めるような声を出すと今度は胸に顔をうずめてきた。普段はあんなに飄々としているのに、なんだって今日はそんなに甘えたなのだろう。というか今いったい何時なんだろう、今日だって休みじゃないから出勤しなければいけないというのに。

「ちょっと、胸に顔埋めないでよ」
「はー?胸?なにそれ?おまえにあんの?僕の目の前にはまな板しか無いですけど」
「うっさいわ!!これでもCはあるんです!!」
「朝からでかい声だすなよ低能」

 耳が痛いだろ、三郎がそうぶつくさ言いながらもぞもぞと動いて、さらに密着するように身体を擦り寄せてくる。胸の辺りに顔があるものだから、丁度あごに細い髪の毛が当たってどうにもくすぐったい。朝からこんなふうにいちゃいちゃするのはお互い趣味ではないはずなのに、本当にどうしたというのだろう。

「ねえ、ちょっと、」
「名前」
「は?」
「名前、呼べって」

 そういえば今日まだ呼んでなかったっけな、心の中では思っていたけれど。「さぶ、」と小さな声で名前を呟くと下から「、ん」と短い返事が聞こえる。なんとなく空いている手で三郎の背中をそうっと撫でると、鼻を啜る音も聞こえる。ああ、三郎が、泣いている。「っ、ぅ、」次第に小さな嗚咽も漏れ出した。きっとなにかがあったのだろうけれども、彼は寂しがりのくせに強がりの格好つけたがりだから、絶対に話そうとはしないだろう。だからわたしは、ただ安心できるように優しく彼の頭を引き寄せてかき抱いた。パジャマの胸元に涙が染み込んでじんわりと濡れる頃に、カーテンの向こうが明るくなってきた。