sprint-7



 き、き、嫌われたかもしれない。

 拳を震わせながらそう言うと野崎は「はァ?」と怪訝そうな声を出して眉間に皺を刻んだ。さんと、今週一度も話していない。メールもしていない。もう金曜日が終わっちゃうだろ!放課後だろ!土日が来ちゃうだろ!

「なんかしたっけなあ……」
「だから何のはなし」
「前言ってた人と一週間連絡とってない」
「すればいいだろ」
「そんな簡単な問題じゃねえんだよ!」

 そうなのだ、そんな簡単な話ではないのだ。時計をちらと見て「顧問とこ行ってくるわー」と野崎は席を立つ。そうしたらそそくさと隣の河村さんが席に着いた。「あ、河村さん。来たら良かったのに」と声をかけたら、ほんのり頬を染めて「ううん」と笑った。おわかりのように河村さんは野崎にホの字である。好きな人と仲が良くて自分の隣の席、ともなれば自然と相談は俺にもくる。

「野崎にぶちんなんだからそんなんだったらだめだろー」
「やー、恥ずかしいし……」

 河村さんはなんか雰囲気がふわっとしてて小さくて気が利いて、とりあえず男子にも女子にも好かれるようなタイプだった。ぜったい野崎よりいい男がいるだろうに……、とかいう俺だって、優しい子が好きなんていう理想を掲げていたくせに、女の子がこんなにもいる地球上で、好きになったのはどうしたってさんなわけだけれども。

「なんで野崎なわけ?」
「え、いやいいよそれは」
「よくないだろー」
「山田くんこそいないの?好きな人」
「エッッ」

 いやそれこそどうでもいいだろ!と慌てて手をぶんぶん振ったら河村さんの話を聞くばっかりで教えてくれないなんて不公平だと抗議されてしまった。えー、いないこともないかもしれないような気がする感じだけど……、とごにょごにょ濁すと「じゃあいるんだ」ときらきらした目で見られた。女子の恋バナへの執念めちゃくちゃ恐ろしい。

「私が知ってる人?」
「ん?んー……知らないかなあ」
「なんだあ」
「野崎の、…………」
「野崎くん?」
「いや、ううん、なんでもないです」

 なに言いかけてんだばか!!!!!!野崎の部活(男子バスケ)の先輩、とか言えるわけないっていうか言っていいわけないだろ、

「なになに?なに!」
「エッえーと……野崎…の…………知り合い……?っぽい……?かも……」
「え、そうなの!?」
「……ウン……」

 そろそろ誤魔化すのも苦しい、というありがたいタイミングで野崎が戻ってきたので自然と会話はお開きとなる。

「おかえり!!」
「えっなに、なんかすげー歓迎されてる」
「まあまあ座れよ野崎ぃ」
「きもちわる……あ、これ」
「ん?なに……あ!これ失くしたと思ってたやつ!」

 野崎から唐突に渡されたものは前に授業で貰ったプリントで、この間から見つからないからもう失くしたもんだと思ってた。ここに載ってる表がテストに出るって先生言ってたからめちゃくちゃ探してたやつじゃん。家でも散々探したのに見つからなくていつものごとく三郎にからかわれたんだった。

先輩のとこ紛れてたらしくて」
「えっ、……あー教科書挟んでたからかなー」

 このタイミングでさんとか心臓に悪いわ!!!!!

「預かってくれたのか、ありがとなー」
「や、そこで受け取ったしべつに」

 思わず喉の奥から変な声が出た。そこ、と言った野崎が指したのは本当にすぐそこのドアだったから。

「話し中みたいだからって」
「アー……そうなんだ……アリガトー……」

 ばかーーー俺のばか!大事な大事なチャンスを!!!ああああさん……いつもだったら話してたってお構いなしじゃんか……マジで嫌われた?もう河村さん幸せになって俺に幸せをほんのちょっとでいいから分けてくれ……俺は河村さんを全力で応援するぞ、という決意を胸にちょっと泣いた。


sprint-8



 あまりさんのことを考えず河村さんの応援に徹しようと決めた金曜日から早五日。水曜日です。家庭科で調理実習がありました。パウンドケーキだぜ?めっちゃうまかったし残りもめっちゃうまそうだろ?さんの胃袋でもなんでもいいから掴みたい。……意思よっわ……。

「山田くん大丈夫?干からびたサワガニみたいになってるよ?」
「……、ズワイガニくらいにしといて……」

 河村さんは仲良くなるとなかなかおもしろい子だ。猫被ってるとかじゃなくて、なんていうんだろうなー……もう少し前なら俺のこと干からびたサワガニとか言わなかったもんな、「なんか元気ない?」くらいだったもんな。俺がボケかましても変なポイントで笑って、俺がこれはいける!と思ったとこで「うん」で済ませたりしてくる。けど野崎の話はすっげえきらきらした目で聞くしよく笑うし、アレッ俺なんか下に見られてる?そんなことないよな?

「河村さん俺ら仲良しだよね?」
「え、うんたぶん」
「たぶん!!!!」
「どうしたの?幻聴でも聞こえてきた?」
「もういいです」

 河村さんはめちゃくちゃ他人に気を遣う子だと思う。で、それがさりげなくて嫌味のないところが魅力なんだろうな、とも思ってる。俺と河村さんが仲良くなるのと一緒に河村さんと野崎の距離も縮まっていっているようで、仲良くなればなるほど見えてくる彼女の魅力に野崎も惹かれてるんだろうなあ、っていうのはずっと感じていたことだった。ああサワガニになって川から外れて迷っていたら、さんも気づいてくれるだろうか。

「サワガニって食べられんのかな……」
「から揚げおいしいって聞いたことあるけど」
「河村さんコワイ」

 どうせ揚げるんだったらエビとかかぼちゃの天ぷらがいいな、



「あれ、野崎帰んの?」
「うん」
「部活は?」
「ないよ」

 放課後まで俺の頭の中はサワガニの味についてでいっぱいだったけれど、必死でエビとかかぼちゃとかちくわの磯部揚げとかの味を思いだして、気持ち悪くならないようにしていた。掃除を終えるとさっさと帰り支度をする野崎に声をかけたら今日は部活がないらしい。ついでに歯科医院の予約があるから急いでいるらしい。

「え、なんかサッカー部もないとか言ってたけどなんかあったっけ」
「今日教師会議だからけっこう早くみんな下校しなきゃいけねんだってさ」
「あーそうだった……」

 まあどうせ俺も今日は予定ないし帰るだけなんだけど。あ、そうだ、あそこ寄ってこ。



 ブレスレットくらいにしかならないような、小さな冠をシロツメクサで編んでいく。前にさんと来た小鳥のお墓はまだちゃんとあるんだろうか。今日はとても天気が良くて、緑が揺れると反射した陽射しがちかちかと網膜を刺して眩しいくらいだった。シロツメクサの冠を金髪の上に乗せたさんの真っ白で赤い笑顔が浮かんできて、なんだか胸がいっぱいになる。もう結構長いこと話していない。あーーーー、だめだだめだ!!!考えないようにしようと思えば思うほど考えてしまって正直河村さんと野崎がすっげえ羨ましい。俺もお年頃だなこんちくしょう!!!!小石を蹴飛ばすように足を振り上げると、向かう先に影が見えた。

「えっ」
「へ、……あ……」

 な、ナナナナ、ナントイウーーーーナントイウタイミングーーーーー
 ばくばくする心臓に目がちかちかする。しゃがみこんだまま振り返るさんが光を受けてなんだかきらきらしている。ちかちかと輝いているのは太陽の光なのか俺の身体の中で異常なことが起こっているのかそれとも、

「あ、……先輩」

 シロツメクサの小さな冠をぎゅうと握って、そこでやっと声が出た。さんはなんとも言い難い表情をして、「うん」と前に向き直ってしまった。拒否もしないし、呼ばれもしないし、さんから去ろうともしない。俺はさんがどうするのを望んでいるのかなんてさっぱりわからなくて、とりあえずなんか言わないと、なにを言う?とか、首をあちこち捻った。

「あ、ぶ、部活、今日ないんですね」
「うん」
「……」
「……」

 会話が終わった!これは会話と言うのか!?どうする!?

「あー……あの、あれ、野崎が、歯医者行くって言ってたけど、虫歯とかないんですか?」
「ない」
「……そっ、すか……」
「うん」
「……」

 なんのはなしだよ、

「あ、あの!」
「ん」
「プリント、……教科書に挟まってたやつ。野崎にもらった……」
「……あー、うん」
「届けに来てくれたんだってあとで聞いて……すみません」
「なにを謝ってんの?」
「、え」
「なんでおれに謝んの?」

 さんは立ち上がって、真っ直ぐに俺の目を見ていた。けれど、その瞳はちょっとだけ揺れていて、なんの根拠もないけど、すこし、さんが泣きそうだ、と思った。

「なに、って……届けに来てくれたのに、会えなくて」
「別にジローに会いに行ったわけじゃない」
「……」
「なにを思って、謝ってんの、……」

 たぶん、とても自惚れて考えれば、さんの言いたいことはなんとなくわかってしまう。でも、そんな俺にばっかり都合のいい解釈が許されるだろうか。このまま、その白くて細い手を引いて腕の中に収めてしまえたら、どんなに楽だろうと思う。さんも、本当はなにを思ってんの?

「……今日地理があった」
「、ちり?」
「答えられなくて恥かいた」
「ん?」
「全部ジローのせいだ」
「え、なんで」
「全部、ジローが、……ジローの……」

 俯いたさんの高い鼻の先が赤い。なんか、どうしても、どうしてもさんの涙を見るのは嫌だった。さんは今、きっと、もう殆ど泣いている。

、さん」

 肩がほんの少しだけ跳ねた。どうしてか、なんて考えれば考えるだけ理由はいくらでも思いつくけれど、いまは、いまだけは俺の都合の良いように考えさせて。

「すみません」
「だから、なに、」

 一瞬だけ捉えた潤んだ瞳は、溢れそうな涙できらりと光る。その手を引けば、驚いたように瞬きをした拍子に多分涙は零れたけれど、知らないよって、抱き締めた。


sprint-9



「あ」
「うん?」
「はなみずついた」
「えっ!!!」

 男なのに程良く柔らかいさんの身体を抱き締めて、良い匂いと良い雰囲気にじんわりと浸っていたらもぞもぞと身動ぎをしたさんがちょっと鼻声で告げた。名残惜しさから肩を押せずに腕だけを弛めると、さんはじとりと両目を眇めて「ふーーーん、いやなんだ、嘘だけど」と言った。

「おれのこと好きじゃなかったんだ」
「そっ、……えっなんで好きって」
「……うそ。ごめん」
「え、うそってなんすか」

 顔を覗き込むようにさんの肩に手を置いても目が合わない。困ったような、逃げようとするみたいな目をして、耳が赤い。

「……うまくしたら聞けるかな思って……」
「なにを?」
「……」
さん」

 再度ぐいと肩を強すぎない程度の力で掴んで顔を覗き込むと、また困ったような顔をして、迷うようにゆらゆらと揺らぐ瞳にぼんやりと俺が映る。

「……ジローは、しただろ、キス」
「え、」
「なに、そんなんもう忘れたって?」
「えっ、や、ちがくて!」
「ジローはなんにもなさそうにしてたし、おれだけ変にめちゃくちゃ意識してんのか思って」
「いやいや!それはこっちのセリフだから!」
「は?どこが」
「俺さんのことばっか考えてめちゃくちゃ悩んでたのに、さんフッツーーーに教科書借りにくるし!」
「…………」

 さんは少し俯いて、「そういうこと平気で言うのやめて」と言った。ぽぽぽ、と赤く染まる頬にシロツメクサの冠を乗せた笑顔を思い出す。やっぱり、一番を言ったら、笑っていてほしい、なあ。

「……お、俺、ぜったい嫌われたと思って」
「なんで?」
「避けてたじゃないすか、いつもなら話してたって声かけてくれるし」
「……」
「いきなりあんなことして当然だと思う、けど……」
「ほんとにな」
「う、ごめ、すみません」

 ほんとにびっくりした。さんはそう言うと眉を下げて笑った。うわ、いますっげえ心臓びっくりした。指先が震えそうなくらいどきどきする。

「……けど嫌じゃなかったよ」
「え」
「嫌じゃなかったのにもびっくりした」
「ええー……」
「おれも、……ジローのことばっか考えてたけど、……」

 さんの顔がちょっと歪んだから、あんまり喜ぶ暇もなくその先を待つ。「けど」、なんだろう。

「……や、だめだわやっぱ。ジロー、ほんとは、おれじゃないよ」
「は?なに……」
「あの、隣のちっちゃい子、いい子そうじゃんか」
「……隣の……あ、河村さん?」
「カワムラさんていうんだ、……いいじゃん、うん、いいと思うよ」
「は、待って、なに?なんで河村さん?好きじゃないよ」
「え」
「河村さん野崎のこと好きだから、ほらこう……協力ってほどでもないけど」

 野崎って、野崎?とさんが言うので、野崎って野崎、と答えると眠そうな目をカッと開いて「えーーあいつ!?」と声を張り上げた。かわいそうな奴め……。
 でも、はあ、そっか、そうなんだなあ。

「あいつ英語再試とか言って笑ってたようなアホだぞ」
「あー、言ってたなあ……」

 俺もテストの点数に関してはあんま人のこと言えないけど。こないだ聞いた話じゃそのテスト、野崎12点で河村さん88点だから足したら100点だしなんやかんや相性いいんじゃないの、と言ったら、さんは「なるほどなあ」それはそれでいいのかもなと笑った。あのバカを好きという河村さんもなかなか抜けてるとこあるし。点数の酷さに関しては俺も人のこと言えないけど、あれなんで二回言ったんだろ。大事なことだから二回言いました(大事なこととは言っていない)。……いや、まあそれは置いといて。

「……さん、ごめん」
「…………だから、なにに謝ってんの、ジローは」
「えー、と、まずいきなりキスしたことと」
「うん」
「で、ちゃんと謝らないままさんの連絡待ってるばっかりで自分から連絡しなかったこと、と」
「うん」
「あと、やっとさんが来てくれたのに女の子と喋ってて」
「……」
「やきもち妬いた?」
「、っはァ!?」

 調子のんなばか!と目を大きく見開いて言ったさんの耳はびっくりするくらい真っ赤で、それを言ったら怒るだろうから黙ってるけど。げし、と爪先で脛を蹴られてちょっと痛い。
 シブヤのギャンブラーでもないのにある種の賭けをしている俺の心臓は、

「なんでおれが妬かなきゃなんないの!」

 心臓は、

「えー、だってさん俺のこと好きですよね?」

 いまにも張り裂けそうにばくばくしている。
 ひとつ脈打つごとに旋毛から指先まで、ぴりぴりと痺れているみたいに。俺がいまどんなに情けない顔をしているか、簡単に想像がついてしまうから伏せた視線が上げられない。きっと兄ちゃんならもっとかっこよくできるし、きっと三郎ならもっとスマートにできる。多分うまいこと余裕そうに笑えてないんだろうな、めちゃくちゃ格好悪い、けれど、これが限界で、これが精一杯だ。
 格好悪いとこも全部見せたいよ、さんには。

「…………ばかじゃねえの」
「……」
「おれが、いきなりキスしてきた男とこんなんして話せんだぞ」
「……え、さん」
「ジロー」
「な、なんでしょう」
「おれのはなみずまで愛せる?」

 にやり、と笑うさんが愛おしくて愛おしくて、なんだか恥ずかしくなって気まずくなって、俺はまた余裕ぶることを放棄してかっこ悪い顔で笑う。手放しで信じてくれて構わない、絶対に裏切らない。うん、と思いきり頷きながら、肩にさんの顔を押し付けるようにぎゅうっと抱き締めた。

「あ、なあ、あれの作りかた教えて」
「あれ?」
「かんむり」
「ああ、シロツメクサの。さんお姫さまみたいだったよなあ」
「はあ!?」

 かぼちゃの馬車なんてないけれど、すぐヘソを曲げるその歩調でも、ずっと合わせていけると思うよ、さん。

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