sprint-4



 最近ロッカーの中がぱんぱんだ。それというのも、一週か二週に一度は教科書を借りに来るさんのせいだった。あの日便覧を貸して以来味をしめたのか、彼は一向に持参する気配がない。や、良いんだけど。むしろ借りに来てくれてありがとうって感じなんだけど。おかげでもうさんのクラスがいつ便覧を使うが授業あるのか覚えてしまった。俺めちゃくちゃ気持ち悪いじゃん。いや、ま、いいんだけど!!!

「ジロー」
「はいはい」

 うわっジャージ!体育だったんだ。新スチルいただきました!!!ジャージで来るなんて珍しいなあ。そう言ったら、チャイムで終わらずに着替える時間がなかったと教えられた。

「ここ来る間に着替えられたんじゃ……」
「え?おれに教科書忘れて怒られろって?」
「いだだだそんなこと言ってないじゃないですかあ!」

 耳をぎゅうっと引っ張られて、謝りながら教科書を差し出した。そうすると彼はふっと意地悪く笑って、それでいいんじゃ、と耳から手を離す。はーもう……全然嫌じゃない……さんの指先ってちょっとひやっとしてるんだ……。

「なににやにやしてんの」
「えっしてます?」
「してる。きもい」

 ひどい、とぶつくさ垂れていると、さんは「また返しにくるわー」と自分の教室へ戻っていった。その後ろ姿、だらしないジャージの穿きかたがなんとも愛おしい。裾を少し引き摺って、きっと裾だけちょっとぼろぼろになってるんだろうな。学年が違えばジャージ着てるところなんてそれこそ体育祭くらいでSSR並みに滅多に見られないから、今日はラッキーだったなあ。



「じろ、ケータイ」
「え?」
「ケータイ」
「け、けいたい けいたいでんわ?」
「ん」

 授業が終わって再び教室に来たさんは、教科書を差し出しながら「ありがとう」でも「はい教科書」でもなく「ケータイ」と繰り返す。わけがわからないまま俺が自分のスマホを手に持つと、あれよあれよという間にさんの連絡先がこの手の中の小さな携帯電話に記録された。「ジローのもおしえてー」喜んで!!!!

「ジローもう帰る?」
「はい、今日は特に萬屋の依頼もないから」
「じゃ昇降口いて」
「ん?」
「待ってて」

 ウッウワーーーーーーどうっ、どういうことだよ!!!!!!!!神様が何考えてるのかわかんねえ!!!!!!!!さんは「じゃ」と言うとさっさと去って行ってしまって、俺はそのジャージの裾を見つめたまましばらく立ち尽くしてさんの言葉を反芻するように咀嚼していた。……えっ、あれだろ、つまり、い、一緒に、

「帰ろっか、ジロー」

 クラスの女子に少女漫画借りて予習しとけばよかった!!!!助けて兄ちゃん!!この際三郎でもいいから!!萬屋の仕事イマココ!!!!Now here!!!!
 昇降口の柱にしゃがんで寄っ掛かっていたところにさんの声が降ってきた。首を傾けるとさらりと揺れる金色の髪が綺麗だ。

「ハイッ」
「よし。頼みがある」
「ハイッ」

 昇降口を出ると正面にグラウンドが見える。野球部がノック練習をしているのを一瞬だけ視界の隅に捉えて、すぐに隣のさんのほうを向いた。

「野花を摘んできてくれ」
「エッ」
「きれいなやつな!あ、茎長めに残しといてな」

 なに……妖精かなんかか……



 結局シロツメクサをいくつか摘んで、あとはちょっと黄色っぽい花をひとつ。なんだっけこれ。さっきまでの自分と同じように、緑色の上に小さくなって座り込んでいるさんに近づいた。旋毛が見える。あーこれは、これはやばい、抱きしめてしまいそう。

「あ、ジロ。あった?」
「!」

 ふいに振り返ったさんに見つかってしまった。いや、見つかってよかった!そうじゃなかったらたぶんギュッてしてドンッて突き飛ばされてダーーッて逃げてただろうし!ご、語彙力〜〜〜!!

「う、うん、ちょっとだけ、だけど」
「じゅうぶん!ありがとうな」

 さんの手にあるのもほんの少しのシロツメクサ。俺の手から受け取ったのと合わせて、うん、と微笑んだ。あ、やばい……また抱きしめそう……、これが胸きゅんってやつか、すげえ。推しの笑顔の破壊力、すげえ。じゃあ行くか、と言うさんにそのままついて行くと、俺らは土手に出た。そのまま草の上を下りて、物陰になったところでさんは腰を下ろす。なんだろうと思って覗き込んだら、ちょっと大きめの石があった。

「……?、さん?」

 さんはその石の前に、さっき集めた花をそうっと優しく置いた。

「今朝な、埋めたんだわ」
「うめ、?」
「ちっこい鳥なんだけど、歩いてるとき見つけてな。きれいなまんま。ほかっておくのかわいそうだから」

 口元をはしっと手で押さえた。どうしよ。どうしよ!こんなときにあれだけど!

「そ、っっか、うん、そっか…」

 そっか以外なんか言えよ俺!!!
 手を合わせるさんの隣に同じようにしゃがみこんで、俺も手を合わせた。鳥さんごめんな、こんな邪なこころで。



さんはやさしいっすね」
「えー?」

 二人で土手に座って、すごいなんか青春アニメかなんかみたいだなと思いながらさんと喋る。俺はシロツメクサを摘んでは編み摘んでは編みを繰り返していた。さんは編み方を知らないようで、器用だなあと笑っている。陽が少しずつ傾き始めて、ほんの少しだけど、空も赤らみ始めているようだった。隣でぼうっとしているさんの顔は夕陽に照らされてめちゃくちゃ綺麗で、もうずっと見ていても飽きないと思うけど、それが叶わないから俺の手はこうしてシロツメクサの冠を編み続ける。会話が途切れると車のエンジン音とか風の吹く音がして、手元からもわさわさと茎の擦れる音がする。

さん」
「ん?うわっ」

 油断しきった顔で俺を見たさんの頭に、完成したばかりのシロツメクサの冠を乗せる。反射的にぎゅっと目を瞑ったのがめちゃくちゃかわいくて、プラチナブロンドに近いさらさらの髪にもよく似合っていて、おひめさまみたいだなあ、なんて頭悪そうなことを思った。

「なんだよおひめさまって!」
「えっっ」

 俺の頭ってスピーカー付いてんのかな、


sprint-5



「山田って彼女いたっけか」
「えっいねえよ?」

 即答かよ、と笑われたけれど、ますますさんに一辺倒な俺にはなんでもない他愛ないことだった。おかげさまで今じゃどんどん仲良くなれていて、今日のテスト最終日なんてサーティーワンパーセントオフを満喫してくるんだ!やっべめちゃくちゃ楽しみ!

「最近オフも約束あるとか言うしな」
「そうそう、彼女できたんじゃねって話してたんだよなー」
「そうなのか?できてないから安心して?」
「あー今日昼飯食いに行く?みんな半日だろ」
「ラーメン食いたい」
「あ、ごめん今日先約ある」
「またかよ!!!」

 さんとの約束は最優先なんだわ。悪いな!いや正直悪いと思ってないけど!



さん!」

 部活もなく全学年の授業が半日で終わる今日の昇降口は、人がごちゃごちゃに溢れていた。柱に凭れかかってケータイを弄るさんをすぐに見つけて駆け寄ると、「いまおまえにメール打ってた」と柔らかく笑う。ッッッはー、人いっぱいいなかったらマジどうにかしてた。自分の頬を摘んでぐいぐい引っ張るとさんは不思議そうな顔をする。

「だいじょぶ?」
「ウス、ぜんぜんへーきッス!」

 生徒の大群の中を潜り抜けながら、よくね?俺今さんと帰ってんのうらやましくね?よくね?となんだか誇らしいというか自慢したい気持ちでそんなことを思うとちょっと背筋が伸びる。あ、ジロー待って。そう聞こえたと思ったら、手を引っ張られた。指先がちょっとひんやりする。エッッッ。目ん玉ひん剥く勢いで振り返るとさんの真っ白な指先が俺の手を掴んでいる。エッッッッ「えっさん?」「こっち向いて」「えっっ」さんは「靴紐」と言ってしゃがみこむと、大人しく身体を回転させた俺の、解けたスニーカーの靴紐を綺麗に結んでくれた。

「こけたら大変」

 目を細めて笑うさんがきれいできれいで、骨が熱くなるようだった。アイス!早くアイス食べましょう!変に笑ってそう声を上げたら、「ジロー食いしん坊だなあ」とまたふにゃふにゃした表情で笑うもんだから、そろそろ骨が融けてなくなりそうです。



「なんにしよ」
「俺あれ食べたい、パチパチするやつ」
「あー、ジロー好きそう」

 さんは甘いのにすると言って、チーズがベースになっているものを選んだ。平日だったけれどやはりどこの学校もテスト期間だからなのか、それなりに混んでいたイートインコーナーにうまいこと座れなくて、外出よ、と言われるまま自動ドアを潜った。今日は天気が良くて、外でアイス食べるにはなんだかとても良い感じ。タイヤ止め縁石に二人で腰を下ろした。縁石が低いからさんの脚がめちゃくちゃ窮屈そうだ。えっさん脚長いな???脚三メートルくらいある???

「うまい」
「んまいなあ。アイス日和」
「そうっすね!」

 なんかすげえなあ。俺、今さんと二人でアイス食ってる。ちょっと前じゃ考えられなかったことだ。推しとアイス食べれるとか、俺ってば前世でどんな徳積んだわけ?テストどうだった、それ訊きますか、お前の学年のなんか簡単だべ、とか、しょうもない会話ができるのがささやかで、でもどうしようもなく幸せに感じる。

「ジロー、ひとくち」

 隣の縁石に座っていたさんがちょっと腰を上げたから、俺は座っていた縁石の端に寄る。そうするとさんは俺のすぐ隣に腰を下ろして、いやなんていうかちっか、近いです、もうテストだめでもいいや。カップをさんのほうに差し出すと、アイスをピンク色のスプーンでちょっとすくって口へ運ぶ。ちょっとの間があって、パチパチする、と彼は口を押さえながら目を瞬かせた。それからさんも自分のカップを差し出して「ジローもこれドーゾ」と言う、その淡いクリーム色のアイスを口に入れると、濃い甘さが広がった。

「うまいべ?」

 スプーンを唇から離して笑うさんの、その桜色の唇は、アイスクリームでつやつやしていた。おいしそう、と素直に思って、俺はその他に何かを思う前に、あろうことか、唇を重ねてしまった。

「……、え」
「え、……え?うっうわ、えっ!ご、ごめん!ごめんなさいさん!」

 土下座する勢いで縁石から転げるように降りて片膝を付いた俺はもう本当に混乱していて、ただひたすらにごめんなさいを繰り返した。さんは暫しなんともいえない表情で俺を見ていたけれど、そのうちに視線を自分の手の中のカップに戻して、再び俺を見て、うん、とだけ言うと、また視線をアイスのカップに移してスプーンを口に運んだ。

「はやく食べなきゃ溶けるよ」
「へ……あ、うん……」
「そのパチパチするやつもうちょっとちょーだい」
「い、いいけど」

 ぶっとばされるかと思ったのに。あれ?さんのコミュニケーションてどんな?唇に残る甘さを飲み込み切れないまま、そのパチパチするやつを不思議な気持ちで見ていた。


sprint-6



 俺眼中にないってことじゃんか!!!!!!!!!
 ものすごい事実に気が付いてカッと目を見開いた。さんにキスをしてしまった三日後の、数学の授業中のことだった。
 あの後さんはさして気にする様子もなく、後日会ってもその話題が再度浮上することもなく、この三日間は俺自身もそのことをあんまり考えないようにしていた。なんか、考えたら駄目なような気がしてしまって。さんが忘れようとしているなら俺も忘れておこう、と。しかし。俺はめちゃくちゃ意識してやばいやばいと思って必死に謝ったのに、あんなにも薄い反応しかないとなると、俺のキスなんて犬とじゃれて顔をベロベロ舐められるのと同じようなものだったのではないかと、気づいてしまったのです。
 俺はさんの教科書入れとくロッカーなんだ、

「それならそれでいいんだけどなんかなーううん……」
「なにが?」
「ひっ、なんだ野崎か……」
「なんだってなんだ山田コラ」

 いつぞやのさんの後輩バスケ部員。お前のおかげで今の俺があるわけだけれども、こんなにうだうだ悩んでいるのもお前がきっかけでもある。いや、まあ、実質感謝しかしてないんだけど。推しとあんなに近づけたことって俺にとってはテストで満点取るくらい奇跡に近いことなわけだし。

「いろいろ悩みがあんだよ、俺にも」
「メダカの尾ひれのこととかか」
「なにそれ」

 まさかさんにチューしちゃったんだけどどうしたらいいと思うなんて言えるわけもなく、なんかちょいちょい言える範囲で暴露していたら俺は好きな子に想いを伝えられないシャイボーイみたいなことになってしまった。いや強ち間違ってはいないけど。童貞だしな俺……。その時、ポケットで眠っていたケータイがバイブレーションで短く震えた。
 "ジロー教室にいて"
 さんからのメールだった。今教室にいる?とかじゃなくて、教室にいて、って言うのがちょっとさんらしい。ええいますとも。返信はなんてしたらいいだろうかと考えていたら、ジロー、と廊下から声がした。

さん」

 顔を上げて名前を呼ぶと、「えっ先輩?」と目の前のダチも彼を見た。さんはおう、と後輩に挨拶をするとちょいちょいと俺に手招きをする。ハイッお呼びでしたら今すぐに!ぴょんと椅子から退くとさんに駆け寄った。

「ジロー、地理とってる?」
「はい」
「地図帳持ってたら貸してほしいんだけど……」

 なにを申し訳なさそうにしているのですか先輩……いつも「ジロー、便覧」て手出すみたいにしたらいいのに。なんだか可愛くてちょっと笑いそうになってしまった。ロッカーでも構わないかなって考えた。いいですよ、と廊下へ出て、自分のロッカーを開けた。さっき使ったばっかりだからすぐ手前にある。それを手に取って渡すと、ありがとうなと丁寧に礼を言われた。なんだろ、へんなの。さんを見送って席へ戻ると野崎は不思議そうな顔をしていた。あ、そっか。こいつが知ってるときよりずっと仲良くなってるもんなあ。

「珍しいもん見た感じ……」
「ん?」
「あー、先輩、なんか妙に緊張してたなって思って」
「へ」

 緊張?してた?あ、俺の思った変な感じはそれだったわけ?いやでもなんで緊張すんだろ。
 ……ばかだな俺、そんなの決まってるじゃん。
 蟀谷あたりにちらちらと浮かんだものを振り落とすように頭を振って、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を掻き回した。