潔くハイヒール



 女の子にチヤホヤされるのは嫌いじゃないけど、延々とされているとさすがに疲れてくる。だって僕はされるよりしたいから。電話だと嘘をついてするりとクラブを抜け出し、大通りの前の店の近くにある路地裏に入る。暗かったけれど汚くはないし、人通りもない。しばらくここにいよう、とスマホのロックを開いた時、隣に誰かいることに気がついて振り返る。全然気付かなかった。よくよく見ると隣におねーさんが倒れていた。背中を店の外壁に預け、無気力に足を投げ出している。よく見るとゆっくり胸が膨らんで縮むのが視認でき、ああなんだ普通に寝ているんだと一安心。……いや安心できない、こんなとこで寝てたらやばいんじゃないの。

「あの、おーい、大丈夫ー?」
「ん、……ん?」
「あ、気が付いた?おねーさん、大丈夫?」

 その人は眠気のせいか重たそうな瞼をそろそろを開いて顔を上げた。特別美人というわけではないけれど、それなりに目を引く容姿をしていた。まつエクだろうか、睫毛は長くて綺麗に巻かれている。頬はまだほんのり赤く、飲んでいることは明確だった。泥酔して路地裏で寝落ちって……。人目を引くような女の人がこんなところで寝ていたら、確実に悪い事が起きるだろう。中王区ならばいざ知らず、ここはシブヤだ、ヨコハマまでとは言わなくてもそれなりに治安も悪い。ってか酒くさ!飲みすぎなんじゃないのこの人!おねーさんはまだ酔いは冷めていないようで、とろんとした目をして、何か言いたげに僕を見つめていた。

「眠い……もうねる……」
「ちょっと、ここで寝るのはダメだって!家帰んなよ」
「いいの、もうここでねる。しぬなら本望」
「なに本望って、自殺志願者じゃあるまいし……おーーーい、寝るなってマジで……」

 壁に背中が引っ付いたみたいに動こうとしないおねーさんに視線を合わせるようにしゃがみ込んで肩を揺さぶると、閉じた瞳を今度はすこし煩わしそうに開けた。ほっといてよ、と言わんばかりの顔をしているけれど、さすがに僕もここではいそうですかとはいかない。死なれたら後味が悪いし、例えば悪い男に声をかけられて……とかなったらもっとだ。向かい合ってしゃがむと、ぱちぱちと綺麗な形の瞼が上下して、俺のことを再確認するようにじっと見つめた。

「……きれいなカオしてるね」
「なあに、急に」
「かっこいいってよく言われない?」
「……たまに、言われるけど……」
「たまに……」

 たまにね、と言って微笑むように口角だけ上げて笑う。バカにしたような笑みに思わずむっとする。僕の何を知ってるんだよ、と子供っぽいと自覚しながらも思う。でも、おねーさんは僕を通して、僕ではない別の人を見ているんだな、と気付くのに時間はかからなかった。彼女の言葉は、僕に言っているようで、僕に似た彼女の心を占める人のもののように聞こえる。

「つきあってるひといるの?」
「いないけど……って、そうじゃなくて。起きてよ」
「あー、いないんだ、はは、じゃあ女泣かせなんだぁ」
「酔っぱらいめんどくさ!」
「……あのねえ、きみみたいなわるい人に騙されちゃったんだぁ、わたし」

 散々な風評被害の後、彼女の語りが始まった。別に聞いてないんだけど。これだから酔っぱらいは。でもそうか、やっぱり予想通り僕のことなんかさっぱり見ていないのか。とろんとした目はそのまま、口許はずっと薄らと笑みを浮かべ続けた。

「結婚できないって知ってたのに……うそつきなのわかってたのにね、バカだよね……」
「……」
「…………スー」
「寝るなって」

 散々言っているのに寝るので、つい手が出てしまい、ぱしんと頭を叩く。なるほどね。それでヤケ酒、泥酔の流れかな。彼女はそこで起きて、「んー」とか何とか唸りながら手をついて座りなおすと、パラパラと手についた土を払った。ちょっと酔いも覚めたかな。僕もそろそろ戻らないといい加減怪しまれてしまうかもしれないから、早く立ち去ってしまいたい。このまま僕が帰っても大丈夫なのか判断するために黙って彼女の様子を見続けると、彼女はきょろきょろと周りを見渡した。

「ここどこ……」
「……あのねえ……」
「いま何時?」

 挙句泥酔していたためだろうか、自分が今どこにいるのかも把握できていないらしい。一応ちょっと酔いが冷めたらしいけど、こんなんじゃさすがにほっとけない。めんどくさいことになったな……。ジーパンのポケットに入れていたスマホで時間を確認すると、すでに日付が変わっていて、それを伝えると彼女は少しだけため息をついた。

「まだそんな時間なんだね」
「いやいや、まだって結構遅いよ?……帰れるの?」
「だいじょうぶ」

 よいしょ、と言って立ち上がろうとするけれども、彼女は決して低くはないヒールのパンプスを履いていて、ぐらりと姿勢が揺れる。うわ、あぶない。慌てて手を伸ばしても、彼女はいいよ、と言って壁にもたれた。立ち上がったはいいけどこれでは歩けなさそうだ。それでも先ほどより幾ばくか言葉も顔もしっかりしているので、一応まともに言葉は交わせるようになったらしい。

「どうもありがとう」
「……、……いーえ」

 きれいな言葉を使うな、と、思った。彼女はどこにでもいそうで、どこにもいなさそうな女だった。実際先程まで僕が一緒に飲んでいたおねーさん達も、彼女と同じように優しく巻かれた柔らかい色の髪型で、自分を引き立たせる最善のメイクをしていた。柔らかくて甘い匂いをまとい、きらきらしながら周りに合わせた外見とは裏腹に、強い個を主張しようとする彼女たち。
 比べて、周りに溶け込もうとするような見た目をしておきながら、まったく自分がなさそうな彼女。いろんなことに対してめんどくさがっているような、そんなアンニュイな雰囲気を思わせる。そんな彼女に、目は充分すぎるほど肥えているはずなのにどうしてか目を惹かれてしまう。ぼんやりとどこを見ているのかわからない表情で、鞄を取ろうとして壁に沿っているのをただじっと見守る。こんな女の人は初めてだ、わざとらしいくらいのあざとさをもって気を引いてくる人は今まで腐るくらいに見てきたけれど、こんなふうに僕をここまで煩わせた女の人は過去にいなかった。だからほっとけない、良くも悪くも。

「……ちょっと待ってて」
「ん……?」
「いいから、待ってて。絶対」

 絶対なんて強い言葉を使うとはね、と自分自身にちょっと驚く。電話でタクシーを呼びながら店内に戻り、ごめんね用事ができたから帰るね、と伝えて鞄をさらった。おねーさんたちから残念がるようにブーイングが上がるのを宥めて席を後にする。狙おうかな、と思ったくらいにはかわいい女の子もいたけれど、そこはもう他の男たちに譲ることにしよう。ちらりと後ろを振り返ると、案の定男共はラッキーだとあからさまに顔に出して僕に手を振っていた。

「あ、……ちゃんと待ってたんだ」
「……助けてくれるのかなって思って」
「助け、いる?」

 僕が含みをもたせてそう言うと、彼女は少し不服そうにしてから、ふっと微笑んだ。それは僕と彼女の会話の中で初めて、彼女が"僕"を見て微笑んだ瞬間だった。彼女がゆっくり僕に手を伸ばす。

「また悪い男に捕まっちゃうのかぁ」
「いやいや、助けてるんだからいい男でしょうよ。……家、上げてくれるよね?」
「それじゃあヤケ酒付き合ってね」

 ゆっくり僕の肩に手を回す。僕もふらふらになった彼女の腰をしっかりと抱いて、ちょうどやってきたタクシーに乗り込むと、彼女が住所を告げるのを黙って聞いていた。
 眠らない街の真ん中を走る車の外で店の明かりや街頭の光が流れていく。まさか僕も、酒臭くてめんどくさい女をお持ち帰りするなんて思わなくて、ちらりと隣を見やった。僕が見たことで反応して、なあに、と言って微笑んだ彼女の手をそっと握ると、彼女は少し驚きながらもゆっくり握り返してくれた。そして僕は、彼女が"僕"を通して見続け、彼女と"僕"を引き合わせる要因を作った悪い男と違って、彼女を一生幸せにしたいと思うようになることをまだ知らない。