ぼくたちの命日



 うち、今日兄ちゃんも三郎もいねーんだ。せっかくだから俺んちでメシ食ってけば?ついでに明日休みだし泊まっていけばいーじゃん。一人じゃ静かすぎて気持ちわりーし。どうせお前も暇だろ?うんたらかんたら。
 後半の台詞はほぼ右から左へ聞き流す、みたいな感じだった。
 二郎の家に泊まる。そんなの、なんてことないはずだった。今まで何度も彼の家に行ったことがあるし、なんならお泊まりだって幼い頃はよくしてた。同じ布団の中で、小さい身体を寄せ合って眠ったこともある。だけど、それはなんにも考えてないちびっこの頃の話。あの頃と今では、お泊まりの意味合いが違ってくることなんて、さすがのわたしでもわかる。だからこそ、イエスと答えるのにほんの少し躊躇ってしまった。おずおずと首を縦に振ったわたしに、二郎は心底ほっとしたような顔をしていた。
 わかっている。彼は決して無理強いなんてしない。ここで例えわたしが断っても、なんだよ〜、じゃあまた今度な!といった感じで、何事もなかったかのように取り繕ってくれるに違いない。



 だめだ。緊張する。平常心、平常心、平常心。そう何度も心の中で唱えているのに、唱えれば唱えるほど余計意識しているような気がして、ますます心音が速くなっていく。
 だって、あとは寝るだけなのだ。適当に取った出前のご飯を食べて、お風呂を借りて髪の毛を乾かして、歯も磨いて、なんとなく夜のバラエティを見たら、あとは寝るだけ。わたしは目が冴えてしまってとてもじゃないけど眠れる気がしないのに、ソファに座る二郎は呑気に大きな欠伸をこぼしている。確かに、もう時計は0時を回っていた。

「俺、ソファで寝るから。は俺の部屋で寝ていーよ。布団敷いてあっから」
「……え」
「さ、俺はもう寝るからお前も早く寝ろ」

 しっし、とまるで野良犬を追い払うかのようにソファから降ろされて、二郎はどこからともなくタオルケットを引っ張り出した。どうしよう、それはさすがに申し訳なさすぎる。だけど、同じ部屋で眠る勇気も、今のわたしにはまだない。二郎はそそくさとソファに寝っ転がって、わたしに背を向けてタオルケットを被ってしまった。
 フローリングに座り込んだまま、その広い背中をじっと見つめる。小さな頃とは全然違う、逞しくて大きな背中。いつのまに、こんなに男の子らしくなったんだろう。

「……じろ、」
「やっぱ、誘ったの失敗だったかも」
「、え……?」
「……パジャマ、ちゃんとボタンしめろよ」

 そう言われて自分の胸元を見る。そしてパジャマの一番上のボタンが開いたままだったことに気が付いた。途端に恥ずかしくなって慌ててボタンを留める。ついでになぜかカーディガンのボタンまで全部留めた。ああ、だから、わたしがお風呂から出てパジャマ姿になった途端、二郎の口数が急に減ったのかな。どうしよう、すごく恥ずかしい。
 一線を越えてしまうのは、どうしてもまだ怖い。だけど、一緒にいるはずなのに背を向けられているのは、どことなくさみしい。こう思うのは都合のいいわがままなんだろうか。ソファに横たわるがっしりとした肩をそっと掴むと、二郎はぴくりと身体を揺らして、ますますソファの背凭れ側に頭を寄せてしまった。

「じろ、」
「ごめん」
「な、なにが」
の嫌がること、マジでしたくない。だから、今はちょっと勘弁して」

 くぐもった情けない声が聞こえてくる。二郎のそんな声を聞くのは初めてで、わけもなくきゅう、と心臓が締め付けられた。

「じろ、こっち向いて。さみしい」
「今すげえアホ面してるからやだ」
「二郎はいつもアホ面だよ」
「あ?失礼過ぎだろ」
「ふふっ」

 ゆらゆらと控えめに肩を揺すれば、渋々といった感じで二郎はやっとこっちを見た。黄色と緑色のきれいな目、いつになく真剣な目に、わたしの顔が映っている。綺麗な白いほっぺたを指先でなぞれば、彼の凛々しい眉毛はどんどん下がっていく。

「俺が今どんな気持ちで我慢してるか、なんとかして伝えてやりたい」
「……ごめんね」
「いいよ。さみしいんだろ」

 ん、とソファに寝っ転んだまま二郎は腕を広げる。上半身だけソファに預けて、二郎の腕の中に飛び込むと、わたしの背中に腕を回してゆっくりと抱き締めてくれた。彼の心臓は、スウェット越しでもよく伝わるくらいどきどきと速く脈打っている。

「……一緒に、寝てもいい?」
「あー……、悟り開けそう」
「だめだったら帰る」
「いーよ。でもなんかあった時のために枕元にバット置いといて」
「なんで?」
「俺を殴るため」
「あはは、なにそれ」

 年頃の健全な男子高校生相手に酷なことをしているのは、自分でもよくわかっている。いつか呆れられて嫌われてしまうかもしれない。もしかしたら、身体を許し合えるかわいい女の子の所へ行ってしまうかもしれない。そう考えると、途端にボタンを全部留めた鉄壁ガードのカーディガンが憎くなってしまう。

「どうでもいいこと考えてるだろ」
「え?」
「言っとくけど俺、以外に興味ないから」

 深夜に似つかわしくないくらい、優しい声が静かな部屋に響く。
 わたしも二郎以外に興味なんてない。知らない自分を見せるのは怖いけれど、新しい場所へと行くのは二郎としか考えられない。そうっと抱き締め返した細い身体は、甘いボディーソープの香りがした。