Killed the red Queen



「コーヒー」

 どうやら女性に好かれる男前が集まっているらしい。
 ヴァレンタイン・デー、どこの誰が言い出したのかわからない女性の祭りだ。二月の十四日からはもう十二日が経つというのに、カウンターの隅にうずたかく積まれたかわいらしい甘味の数々が減る様子はまったくない。甘いものが好物なメンバーに限って少々肥満に傾きやすい体質であったり、苦手なメンバーに限って食べても食べても太りにくい体質であったりするためだ。後者に属する左馬刻はひとり、シュレッダーにひたすら書類を食わせるという作業をかたわらに、夕陽の差し込むフロアで男たちの帰りを待っている。
 一郎はホウレンソウが安いとかあのスーパーのタイムサービスが魅力的だとか、およそ二十歳そこそこの男性が話題にするものではなかろうことでうきうきと笑って、ついさっきクラブを出たばかりだ。寂雷は空劫と簓を連れて依頼の確認に出かけていった。乱数は珍しい薬が手に入ったとかなんとか、ポップなメロディーに乗せて歌ってしまうほど上機嫌に帰ってきたかと思えば、それは一昨日のこと。左馬刻はそれきり彼の姿を見ていない。
 ガアガアと喚くシュレッダーに次々と紙を運んでやる。ついで隣で棒立ちのままコーヒーコーヒーとわめきたてて、不機嫌に煙をあげる男を小突いた。すると彼は途端に武器を携えたような堅い声でなんやねんと憤慨する。年中無休で燻り続けるの起爆スイッチは、誰でも容易に押すことができる。
 最近は随分とついていない、と思う。運が。始末屋として面倒な役が回ってくるのは仕方のないこと。なにしろ本人の心情はさておき、一等簡単に「始末屋」を名乗れてしまうのは左馬刻だ。人差し指ひとつでたやすく消してしまえる瑣末な命について左馬刻の人差し指はきっと、細胞の隅々に沁み渡るほどに深々と思案していたろうに。資料処分は任されてしまうし、加えてこの末の弟のような男のお守りまで。なんだって寂雷は簓を連れていってしまったのか。あまりに煙が煩わしく、に向かって灰皿を突き出した。「コーヒー」「わーったからタバコ消せ」随分と小さくなった煙草をもみ消してつんと顎を上げる姿はなにひとつ愛らしくない。
 とんだ不良息子なんて言葉が浮かんだとき、育ちの良い小綺麗な息子などここにはひとりもいないと気がついた。クラブの最年少は一郎と空劫のはずだけれど、左馬刻には彼よりものほうが幼いように思える。それは一郎があまりに成熟していて比較的穏やかなためだろう。は感情を隠すことのない直情的な男だった。左馬刻もそういうきらいがあるから、どうも似通っていてふたりきりの空間が心地よいとはいえない。

「なあ」
「んだよ」
「あれ食おうや」

 左馬刻から灰皿を取り上げてテーブルに投げたが言う。彼が顎で示したのは例のバレンタインの残骸だ。

「お前、甘いもん食わねぇだろ」
「だからコーヒー淹れてってゆうてんの、あんな甘いもんなんもなしに食うのはかなわん」

 じゃあ食うな。そう言ってしまえば再びのごく短い導火線に火をつけることになる。しかしなにが悲しくて年下の同居人兼仕事仲間兼、以下略、に気を遣っているのか。左馬刻は目を伏せた。

「面倒くせぇ」
「は?」
「豆挽くの面倒」
「寂雷さんには淹れてやるくせに」

 妬みを色濃くした声でもっては左馬刻の手を引いた。自らを凶器にするの手はひどく堅い。シュレッダーのスイッチを切り彼の顔を見上げたところで、年不相応な表情に思わず笑ってしまう。

「妬いてんのかお前」
「ちゃうわ!」

 数回ちゃうわちゃうわと繰り返したのち、左馬刻が立ち上がるのを認めては手を離す。そさくさとカウンターに腰を落ち着けてしまって、なにか重いものでも引きずるような足取りの左馬刻を急かした。

「これいつ片づくんかな」

 二人分のカップとドリッパーを温め、棚からコーヒーミルと豆の入った紙袋を取り出した。身を乗り出し山積みの包みをのぞいたがぼやく。品性に欠けた荒い男たちも多く訪れるが、や簓のような警備員じみた仲裁係が駐在しているためか危険な店というわけでもなく、女性客も多い。男たちと同じように女性の品格などとは地球を一周するよりも距離があるような者もいれば、このような暗がりには似合わないマダムが来店することもある。左馬刻は女性の客層を見るたびに奇妙な酒場だと思うけれども、カウンターに立って穏やかに微笑む銃兎が視界に入るとすぐにああそうだったと思い直すのだ。さながらホストクラブのような空間を生む男がいるのだから仕方がない。
 包みの中にはご丁寧にも誰それさんへ、なんて書いてあるものもあった。左馬刻のみたところそれぞれに少なくともひとつずつは届いていて、ご指名ありがとうございますなんて心のうちに礼を言う。は比較的大きな長方形のものを取り上げた。

「これ左馬刻宛てやん」

 どっかりと座りなおしてが示す。黒々とした上品に赤い包装紙に、金色の華奢なリボンがかけられていた。コーヒーミルに豆を流してやかんにはお湯を沸かす。現段階慌ただしい左馬刻には横目で見やる程度の興味しか持ちえないものだった。食ってええよな、と言いながらは早々に包装紙を破いた。

「乱暴すぎだろ」
「そんなんあんたも変わらんと思うで」

 そういうとはからから笑った。コーヒーミルに手をかけて豆を挽く左馬刻は眉間のしわをぐっと深くする。曰くとびきり高級な名店のチョコレートらしいが、女性の好みには疎い左馬刻には理解しかねたし、間髪入れず俺もこれもらったわ、と一言加えて左馬刻を見た彼の言動も理解しかねるものだった。
 びりびりに破いた包装紙はの堅い手によって力任せにぐしゃりと丸められる。左馬刻がそれを一瞥する前に、彼はなんでもなかったかのようにそれをゴミ箱へ投げた。放物線だけはいやに赤い。乱暴に引き出した箱の中身は小さく仕切られていて、うつくしく着飾ったチョコレートが女王よろしく鎮座していた。

「いただきます」

 がチョコレートを口へ放る。ゆるく融けるカカオの甘さに辟易する仕草、手を止めた左馬刻はふと気付く。

「テメェ、甘いもん食うからコーヒー淹れろっつったな」
「そう」
「なにコーヒー待たねぇで食ってんだよ、散々コーヒーコーヒー騒いどいて」

 懲りもせずにもう一つ、と二つ目のチョコレートを口に入れたはひとこと甘いと零して、古めかしいコーヒーミルを見つめる。なにを言うわけでもなくしばらくそうして時が止まったようにしていた。晴れた日の夕日は美しく射し込み、すばらしくを照らす。うつくしい男。そしてまた左馬刻には理解しかねる行動であったが、彼がドリッパーをセットしている間には箱すべてのチョコレートを平らげてしまった。

「そんなんどうでもええの」

 は空箱を潰して、とびきり輝かしく笑う。やかんがピィピィと鳴いた。