桃色を飲み干した夜



 ごつ、と壁に頭をぶつけると、いくつかの細胞が死んだように思える。じわりと広がる自傷の痛み。想像以上にあんまり痛くない。残念。退屈で死にたいくらいの冷えた冬の一日の午後。わたしはこうやって今、暇を無駄に潰してる。

「花がな、枯れちゃって、」

 春から大事に大事に育ててきたのに、赤い花綺麗だったのに、最悪だ、あと、手とか肌がすごいカサカサだ、とわけのわからないことを隣でシリウスが言ってきた。
 そんなことを言われたってわたしにはどうすることもできないし、別にどうしてやろうとも思わないけど、することもないし、かわいそうにと両手でシリウスの頬を包んでやる。確かにいつもしっとりと潤ってる頬は、どこかしらカサカサと乾いていた。
 そうだろ?俺かわいそうだ本当に!とシリウスは犬みたいにわたしに甘えてくる。元々は猫みたいではっきりした目はすっかり垂れて、ゆるゆるのやわらかい顔になってしまってる。すっかり気を抜いてしまってて、ただわたしからの優しい言葉が欲しいんだというような顔。キスをねだるように目を瞑ってる。ありきたりだけど彫刻みたい。

 花が枯れるのも肌が枯れるのも冬だからしょうがないことだ。これは自然の摂理だし、どうにもならない。だからちっともシリウスはかわいそうなんかじゃない。本当はそれくらい彼だってわかっているはず。
だけどあんまりにも空気が乾いていたから、退屈が憂鬱だったから、しばらくはこんなシリウスの馬鹿馬鹿しいやりとりにつきあってやった。優しい言葉をかけ続ける。かわいそう、残念だったねぇ、新しい鉢植えでも買ったら?とかね。

 ふと視線を上げてみれば、オフホワイトのカーテンの上にある小さな天窓は外があんまりにも寒いもんだから結露して、幾つも雫を垂らしてしまっているのが目に入る。網目のように雫が窓の端に流れて溜まっていた。その中の小さな露のひとつに指を這わせたい、と思う。
 そうしたらきっと、その後に冷たく濡れた人差し指を見てほんの少し後悔するはずだ。何回と繰り返したこの動作のその先はわかっているのに、何度だって挑戦したくなってしまう。
 わいてくる欲求をじっと押し殺しつつ、両手で挟んだシリウスのほっぺたをくにくにと弄って気分を霧散させた。

「のど、かわいたな」
「冷蔵庫に蜂蜜酒あったはずだよ」
「酒?酒か〜困ったな〜」

 嬉しくてな、困っちまう、とシリウスはにやにやしながらわたしの両手をやんわり下ろさせて、台所はそこだというのに小走りで、冷蔵庫に寄った。
 シリウスは荒い仕草で冷蔵庫を開けた。ふざけた仕草でからっぽに近い冷蔵庫の中を物色する。冷蔵庫の白い光が彼を包んで昏い影を作る。シリウスを、無機質で感情のない軽薄な印象が覆った。遠目に光で透ける彼の指先を見て、冷えたその指を咥えてやりたいと思った。静かに燃える欲望を、実はポーカーフェイスのわたしはなんてことない顔をしつつに燃えたぎらせる。

 甘ったるくてなんてことないアルコール濃度の蜂蜜酒を、一口飲んだらシリウスをベットに誘おう。そう決めた。どこかアルコールくさいキスを交わすのもたまには良い。
 あ、あったあと呟いて乱暴にドアを閉めて笑いながらチューハイを小脇にやって来る彼を見て、わたしは微笑みながらプルタブを開けるその音を待った。