キリエ愛用の棍が折れた。初めて見る光景だった。「キリエ!」一声叫ぶと同時に拳銃を投げた。それを器用にも一瞥することもなく利き手に受け取った彼女は、なんの躊躇いもなく撃鉄を起こし引き金を引いた。彼女の目の色のポケットチーフに血液が飛んだ。彼女に殴りかかろうとしていた男が死んだ。
「あ」
キリエに拳銃を渡したのはリーマスだ。リーマスに拳銃を渡したのはシリウスだ。シリウスにそう指示したのはジェームズだ。つまるところおよそ責任は、悪戯仕掛け人のブレインであるジェームズにある。けれど目の前で蹲ってしまった彼女をフォローする役目は、おびただしい数の死体を除けば彼女と二人きりであるからにして、どうしてもリーマスにまわってくるものだった。
リーマスはそれほど腕っ節に自信のある方ではなかったし、性格的にも進んで攻撃に打って出るような男ではない。加えて監督生をしていた程度には彼は世間評価が高かったから、得意の甘言を使って工作員として動くことが多かった。対してキリエは女だてらに悪戯仕掛け人きってのファイター。ジェームズが頭脳派の頂点にいるとしてシリウスやスネイプが続くし、キリエは武闘派において間違いなく頂点に立つ。
薬品作りやハッキングを得意としながらも運動神経は抜群にとはいかないまでも別段悪くはないスネイプや、契約の場に先頭を切って出ていくために護身術を体得したジェームズと比べて、攻撃された際に特になにをできるわけでもないリーマスが現場へ赴くのに、キリエがパートナーとして選ばれたのはつまり当然のことであった。
クラブを出る前、シリウスは護身用、といってリーマスに拳銃を一つ手渡した。シリウスの纏う硝煙のにおいがリーマスはすこし苦手だった。彼にそんなふうなにおいを纏わせる拳銃はさらに苦手だった。わかった、なんて返事をしてさらりと受け取ったけれども、その実拳銃の重さに怖気づいていた。おそろしいもの。撃鉄を起こして、人差し指ひとつで引き金を引けば、命一つ失わせるもの。スーツのポケットに忍ばせると、すこし体が傾いたのを思い出す。
「キリエ」
「うん」
「ごめんね」
「リーマスは、なにもしていないでしょ」
「うん」
「謝ることないよ」
「ごめん」
「謝らないでってば」
返す言葉がみつからなくて、ため息をひとつ吐いた。続けて息を吸うと、血のにおいとリーマスの苦手な硝煙のにおいが鼻を抜ける。
こんなところにいるのだ。シリウスは、キリエは。自分がどこかの女に甘くキスを強請られている夜に、彼らは、彼女は生臭い死のにおいを嗅ぎ続けている。
どちらが悪いわけでもないのだろう、キリエのいうとおりリーマスは「なにもしていない」。しかし謝ることしかできずにいるのは、蹲ったキリエが、あまりにも。