王子様なんていない



 セドリック・ディゴリーは、王子様の生まれ変わりとかだと思う。

「まーたおかしなこと言ってるよこの子は」
「とかってなに、とかって」
「ガチで王子様とか」
「ありえない!そんなのいないから」
「あなたはおとぎ話の読みすぎです」

 この歳でなに言ってんのって思われるかもしれませんが、冗談ではありません、本気です。
 同室の友人ふたりにボロクソに言われながら、今日もわたしはセドリック・ディゴリーに御伽噺のような夢を見ている。
 同学年のセドリック・ディゴリーは、ハッフルパフに所属している。わたしたちの所属するレイブンクローとは合同授業が多く、しかも3年生以上から増える選択授業でもいくつか科目が被っているため、交流も他寮より格段に多くあった。わたしは普段一緒に行動している友人がふたりいて、例えば魔法薬学なんかのペアを組んで着手しなければならない単元なんかであぶれたときにセドリックとペアになることが多くて、そのときになにかと気にかけてくれるのが彼なのだ。
 よく他寮の生徒から(言うまでもなく、つくづく腹立たしいことではあるけれども、主にスリザリン生からだ)侮蔑の一種として”ハッフルパフは劣等生の集まる寮”だなんだと揶揄されることがあるけれども、セドリックを見ていればそんなのは所詮ただのやっかみのようなものだと理解することができるだろう。そもそも正しくは、ハッフルパフは誠実で心優しく勤勉な者が集う寮であり、4つある寮の中で他寮の倍近い生徒数を持つ一番の大所帯でありながらも闇の魔法使いの排出数が最も少ない寮なのだ。世界大戦の英雄にして闇払い局長であったと名高いテセウス・スキャマンダーや、彼の弟であり【幻の動物とその生息地】の著者であるニュート・スキャマンダーがハッフルパフの出身者に当たることからも察せられる。
 彼はことあるごとに褒めてくれたりさりげなくフォローをしてくれたり、とにかく優しくて優しくて優しい人だ。寮内外の人とも仲良しで、クィディッチのポジションは花形のシーカーでその上キャプテンで、校内でも1、2を争う人気ぶり、そして気さくで話しやすい。非の打ち所がなさすぎて文句のつけようもない。ほら、これはもう、間違いなく王子様でしょ。

「いやだからなんでそうなるの」
「いきなり飛躍しすぎ」
「優しいのは王子様のテッパンじゃ……」
「そもそも王子様が基準なのがおかしい」
「どうかしてる」

 にべもなくばっさりと切り捨てられてしまった。王子様、良いと思うんだけど、なあ。
 うちは代々純血一族だけれど、両親がマグル贔屓なために幼少期からマグルの文化に多く触れながら生活してきた。純血主義が散々こき下ろしているマグルの技術もばかにはできないと常々思う。ルーモスなんて唱えなくてもスイッチを入れれば一瞬でライトが光るし、保存しておきたい食材なんかはわざわざ地下室に置かなくても冷蔵庫に入れれば済む。写真は動かないけれどもテレビがあるし、ふくろうを使わなくても電話にすれば相手が地球の裏側にいたってすぐに会話ができるのだ。あと、わたしは箒よりも自転車とかバイクの方が好き。パパがデルビのトレイルバイクを持っていて(ちなみにママはベスパ派だ)、二人乗りさせてもらったときの興奮が忘れられないのだ。バイクは運転免許証というのを取らないと公道で走ってはいけないらしいから、それを逆手に家の敷地内で乗り回している。
 昔からマグルの絵本や童話小説がわたしのお気に入りで、もちろん【吟遊詩人ビードルの物語】も好きだし、中でも”豊かな幸運の泉”なんかは本当に素敵なお話だと思うけれども、マグルの童話には敵わないと思ってしまうのだ。たとえば、シンデレラなら個人的にはペローのサンドリヨンがいちばん好み。バジーレの灰かぶり猫もグリムの灰かぶり姫もそれぞれに特有の解釈があって全部素敵だけれども、バジーレとグリムのシンデレラには魔法使いが登場しないから。マグルが書く魔法使い像、みたいなものを知るのがおもしろくて、ラプンツェルや眠りの森の美女も大好きだ。
 レイブンクロー生のくせに、と、こういうふわふわしたことを言っているせいで変わり者扱いされているのは知っている。パパがイタリアーノなのも要因のひとつかもしれない。けれども大好きなものを今更、嫌いにだなんて到底なれやしない。ふたりは処置なしと言わんばかりに肩を竦めて大げさなため息をついたと思ったら、ケイトがわたしをビシッと指差した。人に指を差しちゃいけません。

「あんたはあれね、頭の中身がゆるふわ系」
「わかる」
「わかんないよ!!」

 ふたりともひどい。けらけらと声を上げて愉快そうに笑うケイトとサリーに怒っていたら、あっという間にお昼時間が終わっていた。ひたすらばかにされたお昼だった。ひどい。


「ふたりともほんとうにひどい」
「はは。でも僕、王子様なんて柄じゃないよ」
「えっどこが?ぴったりじゃない」
「うーん、そうかな」
「わたしには王子様にしか見えないもの」
「え……、そう?なんか照れるなあ」

 レポート課題に必要な資料を集めるために図書室に来てみれば、そこにはさっきまで話題の中心だったセドリックがいた。やあお疲れさま、キリエもレポート?と柔和に笑うセドリックは、やっぱりどこからどう見ても王子様だ。ついついわたしも頬が緩んで、ついでにお口も緩んだせいで余計なことまでつるりと喋ってしまった。
 言葉通りにどこか照れたように頬を染めてはにかむセドリックを見上げて、やっぱり王子様だなあ、と既に何度も思っていることを再確認。ひとりで納得したようにうんうん頷いていたら、どうしたのと身を屈めて顔を覗きこまれてしまった。怪訝そうな、というよりも不思議そうな表情はどこまでも誠実さと篤実さが滲み出ていて、ああ、今日も素敵にハンサムだなあ、とうっとりしてしまう。

「セドリックっていいひとよね」
「え?」
「あのね、わたしね、実は自分がシンデレラの生まれ変わりで、いつか王子様が迎えに来てくれるって信じてるの」
「女の子はみんなお姫様って言うしね」
「ほら、そういうとこ」
「?」
「普通ね、こんなこと言われたら頭おかしいやつだって思うでしょ。でもセドリックは違うじゃない」

 これが例えばグリフィンドールのウィーズリー双子なんかに言ったら、さんざん笑い飛ばされてバカにされるに違いない。あることないこと尾ひれをつけて、卒業するまでからかわれるのが目に見えている。けれどもセドリックならばそういう憂慮の必要はまったくもってないのだった。だからいっぱい話しちゃうよね、と言って笑うと、セドリックも眉を下げるようにしてひそやかに笑ってくれた。ほらね、わたしのことを変なやつ扱いは絶対にしないし、傷つくようなことも言わない。セドリックは優しくて、いいひとだなあ。

「――ねえ、キリエ、知ってる?」
「なにを?」
「マグルの童話にあるらしいんだけど、オオカミは、赤ずきんを食べるために優しいおばあさんのふりをしていたんだよ」
「うん?知ってるよ」

 急に赤ずきんちゃんの話?と思いながらも頷いて、ようやく探し求めていた本を見つけて手を伸ばす。高いけど、ギリギリ届く、かも。うんと背伸びして腕もぴんと伸ばして、指が本の背表紙に触れる。あ、と思ったそのとき、後ろから腕が伸びてきてわたしの手に重なるようにきゅっと軽く握られた。その腕を辿って顔を上げるころには、本がするりと音もなく引き抜かれた。

「だから僕も、王子様のふりしたオオカミかもよ、って話」

 え、と振り向いた瞬間、頭上に暗く影が差して視界がぼやけた。ふわ、となにかあたたかくてやわらかいものが唇に触れる。繊細な神経が自分とは違う皮膚を、温度を、感触を伝えて、伏せた睫毛の長さが間近に映る。ちゅっ、と軽い音のあと、蕩けるような笑みを浮かべたセドリックの顔が離れて、そのまま手を振って図書室を出ていった。

「…………え?」

 なに、いまの。