※現パロ

さよなら金盞花



 ベッドの上に伸ばされたの真白く細長い足が眩しくて、少しだけ目を逸らす。隣にいる俺の気持ちを知ってか知らずか、ぶん、と子供のころ使わされていた体温計の温度を落とすように桃色のマニキュアの瓶をスナップをきかせて振った。桃色のとろりとした液体が揺れている。見たことなんて当たり前にないけどさ、媚薬ってこういう色なんじゃないかねえ、ま、しょーもないから言わないけどよ。

「マニキュア塗りまーす」
「見たら分かるぜ」
「違うよ、シンナーくさくなるから避難した方がいいよって」
「なんで。隣にいたら駄目か?」
「別にいいけど、忠告したかんね」

 下着が見えそうなほど短いスウェット地のショートパンツ、膝を曲げては白い蓋を回して刷毛についた桃色を爪に塗り始める。ぷん、と忠告通りシンナーの香りが鼻先を掠めた。風呂上がりの彼女のシャンプーやらボディクリームの匂いと混じって、部屋は不思議な香りに包まれていくけれど、本人は大して気になっていないのか、気づいてすらいないのか、黙々と左の足の親指から一本一本丁寧に、真ん中、そして両端に、と、爪の色がやわらかい体温を帯びた色に変化させていく。

「一回塗っただけじゃあんま分かんねぇな」
「そう、それが良くない、ナチュラルで」
「へぇ、じゃあこれで終わりか?」
「や、まあ二度塗りしますけど」
「どっちだよ」

 もう暑いからね、もうサンダル履くからね、わかるようにしないとね、と言葉をぽつり、ぽつり、区切りながら、右足の爪にの作業は移行する。
 付き合って、はじめて過ごす夏だから、なにもかもがおそろしいほど新鮮だった。新鮮で、どこか瑞々しく、果物を食べる瞬間のような感覚が突き上げるように襲ってくる。彼女の無防備に伸ばされた足や、爪に顔を近づけるように屈んで剥き出しになったうなじ、ざっとまとめられた髪の毛、さっき俺が首筋につけた赤い痕、すこし大きいTシャツを着ているせいで右肩が剥き出しになっている。
 シンナーの香りが、部屋に広がっていく。何度、彼女はその桃色のとろりとした色を、爪につけたのだろう、そして何度刷毛を浸したのだろう。まだ湯上りで赤みの残った首筋を俺はぼんやりと見つめていた。こういう匂いが得意でも、不得意でもないけれど、まったく縁のない人生ということもない。

「ヤバイな」
「なに、頭痛くなってきた?リビング行った方がいいよ」
「いや違う」
「……なに?」
「中止、それ」

 俺がつけた赤い痕に引き寄せられるように、かぶりついた。あ、と小さく洩れた声、の割にマニキュアの蓋を閉める余裕はあるのがなんだかイラっとくる。ちいさな吐息が漏れて、どんどんとが頽れて、俺が押し倒す形になっても、桃色のボトルを掴んでいる。なんで持ってんだよ、言葉に出して、何に怒っているのかもわからないまま、まだきちんと閉まっていないボトルを奪って、きつく締めて転がした。
 マニキュアがベッドシーツにつく、と騒いでいる唇をふさいで、暴れる手の上に俺の手を重ねる。マニキュアなんて、除光液で落とせばいいのに、そんなことを今気にするのか。

「ふさ、たろ」
「ん」
「眉間、しわ寄ってる」

 まだ色のついていない右手の人差し指が俺の眉間に触れようと手が伸びる。反射的に少し首を傾けて避け、避けたことを悟られないようにゆったりとの指に自分の指を絡ませた。そんな単純なことで、彼女は恐ろしいほど安堵した顔を見せる。いま、ネコだまししたらどんな顔すんのかな。

「なあ、手はマニキュアすんの」
「仕事あるから、たぶんしないよ」
「ふうん」
「今度会うとき、青にしてあげよっか」
「なんでもいーよ」

 たぶん何かを勘違いしているらしい、けれど、別に訂正する気も起きない。勝手にへらへらしてたらいい。
 でもシンナーの匂いにくらついたのも、お前の背中にぐらついたのも、結局発端はちいさなそのボトルのせいだ。