三輪目



 一週間後、わたしは駅で花沢くんのことを待っていた。どうして、こんなことになったのか。

さん!遅れてごめん、呼び出しておきながら待たせちゃって」
「別にいいよ、わたし待つの嫌いじゃないから」
「今日はよろしくお願いします」

 かつてはインフルエンザのように大流行していた花吐き病の罹患者も、今の時代そう多くはいない。病院に行ったところで薬を処方してもらえるわけでもなければそもそも医療で治せるものでもないため、罹患したところで病院に行く人が少ないとは思うけれど、そのことを考慮に入れても花吐き病を患っている人というのをわたしは自分以外に知らなかった。
 だからこそ、花沢くんは興味を持った。花沢くんの友人に、花吐き病について研究している大学生がいるらしい。流石頭がいい人はやることが違う。わたしも花沢くんも在校生ではないのにいいのだろうかと思ったけれども、中学や高校ならばいざ知らず、大学は守衛も駐在していて元々のセキュリティがしっかりしているし、オープンキャンパスなどで外部の人間の出入りも多いので事前申請さえしてしまえば厳しく規制する必要性はそうないとのことだった。

「でも、わたしも今までの人と一緒だと思うよ?別に研究の助けにはなれないと思うけど」
「ううん、さんで実験したいとかっていうわけじゃないんだ。その研究室にネットには公開されていないような資料があるらしいから、さんの病気を治すお手伝いができないかなって」

 正直ありがたい話ではある。けれども、どうして花沢くんはこれほどまでにわたしのことを気にかけてくれるのだろうか。それに、わたしが花を吐くのはあなたに恋しているから、だなんて口が裂けても言えなかった。

「ごめんね、ここで待っててくれる?資料を借りてくるから」

 ここが研究室なのだろう、よく分からない建物のよく分からない部屋のドアの前でわたしは待つ。花沢くんは既に話をつけてあるようで、中に入って白衣を着た人から分厚いファイルを受け取っていた。

「誰?あの子」
「友達。花吐き病に興味があるんだって」
「へえ、珍しいな。知り合いに花吐き病患者がいるなら連れてきてって伝えてよ」
「まさか。いないと思うよ?」

 二人の会話が聞こえてきて、わたしは思わず肩を竦める。ここでわたしが当該の花吐き病患者だなんて言ったら本当に人体実験が始まりそうだ。それを分かっていて、花沢くんも嘘をついてくれたようだった。

「お待たせ、借りて来たよ」
「人体実験って、どんなことするのかな」
「会話聞こえちゃった!?ごめんね、彼もただ勉強熱心なだけなんだよ」

 中庭のような場所へ移動し、点在する木製のベンチに腰掛ける。外だから少し寒いけれど、仮に室内にいてそこで花を吐いてしまうよりはいい、とわたしが提案したのだ。

「寒くない?何か温かい飲み物でも買ってこようか?」
「わたしは大丈夫。逆にごめんね、寒いところに連れ出してきちゃって」
「それは大丈夫、気にしないで」

 早速ファイルを広げて二人で覗き込む。資料に書いている内容を花沢くんはひとつひとつ丁寧に説明しながら教えてくれたけれども、書いてあったのはわたしも既に知っていることばかりだった。確かに目新しい情報もいくつかあったけれど、あまりわたしには当てはまらない。
 そして、残酷なことに花吐き病の致死率についてのデータもあった。死に至るケースは少なくないらしい。想いを伝えなかったり、伝えても振られたり。日に日に吐く花の量は増えていき、食事の量は減っていき、じわじわと、それでも確実に、死へと近づいていく。きっとこのままいけば、わたしも同じ運命を辿ることになるのだろう。

「ごめん、あんまりためにならなかった?」
「……ううん、少し詳しくなれたよ。ありがとう」

 わたしは不意に青空を見上げる。家を出る前までは何度も何度も花を吐してしまったのに、いざ会ってしまえば緊張のせいなのかあまり嘔吐感には襲われなかった。

さんは、いつ発症したの?」

 ファイルをぱたんと閉じて、花沢くんが尋ねる。いつか質問されることだろうとは思っていた。わたしは溜息をついてから記憶を想起させる。同じクラスだったから、花沢くんもあのコスモスのことを覚えていた。

「あの花、ゲロ花だったんだ……。確かに季節外れだとは思ったけど」
「誰か分からないけど、あの時花瓶を落とさなければ、感染しなかったのに」

 どうしてあの時、コスモスを拾い上げてしまったのだろうか。そのことを、何度も後悔している。

さんが吐き出したあの花は、確か……」
「フリージア。よく花束とかになってるよね。良い香りだからって香水になったりもしてるみたい。でも匂いが強いのってわたしとしては迷惑なんだよね、花沢くんみたいに気づいちゃう人がいるかも」

 言っているそばから気持ち悪くなってしまって、花を吐いた。ピンク色の花が、強く香る。

「大丈夫?」
「……もう、慣れちゃった」

 花沢くんに再会したあの日から、再発した病は治っていない。毎日何度も花を吐き、食欲もあまりなくなっていた。そのせいで一週間前と比べて何キロも痩せている。声を聞くたびに、姿を見るたびに、それらを思い出すたびに強く拳を握り込んでしまうわたしの手のひらにはここ数日爪跡が絶えない。度重なるトラウマへの刺激に耐えうる性ではないということだ。

「ねえ、花を吐くってことは、片想いしてるんだよね?」
「……うん」
「恋は、叶いそう?」

 心臓が悲鳴をあげた。触れられたくない傷に素手で塩を塗りこまれた気分だった。
 彼は残酷な人だ。泣きそうになる。あなたが好き、と言ったらどんな顔をするのだろうか。どうせ困るくせに。優しい花沢くんは、もしかしたら善意で嘘をついてくれるかもしれない。それでも、お為ごかしでどうにかなる病気じゃない。きっと、わたしの花吐き病は治らない。

「ノーコメントで」

 謝ろうとする花沢くんの言葉を遮って、わたしは深呼吸をする。今日、ここに来た理由はこれだけではなかった。

「花沢くん、わたし、今日は人体実験されるんじゃないかと思ってたよ。でも、嫌だと思いながらもちゃんと来た」

 すべてを、つまびらかにしないといけない。
 花沢くんの目を真っ直ぐに見ながら、口を開いた。

「今度はわたしが質問したい。ずっと、訊きたいことがあったの」