高校生活最後の日、卒業式の朝、美しい桃色のコスモスが一輪だけ教卓に飾られていた。名の通った花の甘ったるい香りとは違って健やかな甘い香りが空気に混ざって仄かに香る。秋に咲くはずのコスモスがこんな時期に飾られているのは珍しい。そのコスモスを一体誰が花瓶に挿したのか。最後までその人が名乗り出ることはなく、コスモスは寂しく窓辺で揺れていた。
無事に式が終わり教室へ戻り、みんなが泣いて笑っているその中で、お調子者の男子がふざけたのか何なのか、誰かの肘で押された花瓶は床に叩きつけられてしまった。がしゃん。花瓶の割れる音がまるで悲鳴のように教室じゅうに響いた。騒がしかった教室の空気は一瞬にして凍り付く。しかしそれを緩和させるかのように呆れた声を上げて手を叩き、先生が割れたガラスの破片を、そして、近くにいたわたしがコスモスを拾い上げた。
その瞬間が、全ての始まりだった。
正式名称は嘔吐中枢花被性疾患。通称、花吐き病。その病の存在を、名前だけは確かに知っていた。遥か遠い昔から流行と潜伏を繰り返している奇病。片想いを拗らせると発症して、口から花を吐くという。そして、罹患者が吐き出した花に触れると他人でも感染してしまう。数十年前に大流行して街が色とりどりの花で溢れかえったという話は有名だけれど、今となっては流行の兆しなど少しも見られなかった。知り合いにも罹患者は誰一人としていない。その病に自分が侵されるなんて、考えた事すらなかった。
卒業式を終えて帰宅すると、真っ先に自室へと戻る。そしてブレザーを脱ぎながら、自分が高校を卒業した事実をしみじみと思った。三年間を共にして数多くの思い出を共有した親しい友人たちとも、もういつものように簡単には会えなくなる。そして、彼とも……。
明確なきっかけはなかった。ただ、気がつくと目で追ってしまっていたから、わたしは彼のことが好きなのだと自覚するのは早かった。席替えで隣の席になれた時はとても嬉しかった。席替えが行われた次の日の朝、勇気を振り絞っておはようと言った。彼は清廉な笑顔でおはようと返してくれた。たったそれだけのことなのに心臓を吐き出しそうになってしまって、結局おはようを言ったのはその一度きり。それからは彼が落とした消しゴムを拾ったり、授業内のグループワークで少しだけ話したり、コミュニケーションはその程度のものだけれど特に不満には思わなかった。わたしは自分の欲のなさというか、臆病ぶりに時折びっくりしてしまう。
高校生活のすべてを捧げて想い続けた同級生のことを頭に思い浮かべた瞬間、何故か、唐突に、とてつもない嘔吐感に襲われた。急いで部屋を出てトイレへと走るも間に合わず、わたしは家の廊下で思い切り嘔吐してしまう。
「ちょっと、どうしたの!?」
驚いて様子を見に来た母親が小さな悲鳴を上げたのが耳に届いた。嘔吐したというのに喉に貼りつくような胃液の酸っぱさは微塵も感じられず、それどころか、ぷん、と甘ったるい香りが鼻腔を刺す。
「なに、これ……」
わたしの手元には、ピンク色をしたフリージアの花が溢れていた。
その日を境に、わたしは一日に何度も花を吐いた。インターネットや本を用いてその病のことを調べても、出てくる情報はほぼ同じだった。治療法は未だ見つかっておらず、完治する方法はたったひとつ、片想いの相手と結ばれることだけ。わたしの場合、そんなことは不可能に近い。わたしの好きな人は、簡単に手が届くような人じゃなかった。高校ではそんな彼と運良く同じクラスになれたものの、別段仲が良かったわけでもないわたしと彼が卒業してしまえば、会うことは殆どなくなるだろう。そのことが胸を締め付ける。そうして、また、その度に花を吐いてしまうのだった。
すべては、あのコスモスのせいで。
大学に入学しても花吐き病が良くなる傾向は見られなかった。この病のストレスで命が削られていって死んでしまうのだろう、と半ば諦めかけていた頃、同じ学部に女の子の友達ができた。彼女とは波長が合ったのかすぐに意気投合して、いつも一緒に過ごすようになったし、彼女の友人たちとも仲良くなり、大学生活は充実していった。そうして好きだった彼のことを思い出すことも少なくなり、わたしが花を吐く頻度は徐々に減っていった。次第には記憶に蓋をすることにも成功して、もう、わたしは彼のことを思い出すことがなくなった。それと共に、ついにはわたしが花を吐くこともなくなった。
大学生活の四年間、わたしは自分の病気のことなどすっかり忘れてしまっていた。