煌々と光るコンビニエンスストアのあかりに照らされて、喫煙所の横に設置されたベンチに座るその人影をやっと見つけることができた。大きい紙パックの緑茶を持って、両足を投げ出すように開いて、薄手のワンピース、太ももの上に置かれた携帯電話。
少しばかり控えめな湿気で、けれど前髪は張り付いて、彼女に近づきながら俺は指先で前髪をそっと払った。
まるで縁側に座る子どものようだ、親戚の集まりでなじめないヤツが一人や二人はいる景色を思い出す。そんな年齢ではないはずなのに恐ろしいほどの良く言えば無垢さで、はっきり言うならば無防備さで、ただ座っていた。中身がどれくらい入っているのか分からない紙パックの緑茶に差しっぱなしのストローにふいに口をつけて、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。実際は近くにいるわけではないので、音が聞こえるわけではないけれど。美味しくなさそうに眉を寄せて紙パックを自分の隣に置いた後、やっと彼女は顔を上げる。彼女の瞳に俺が映った瞬間が、宵闇のなかでしっかりとわかった。視線というものが目視できるのならば、確実にぶつかり、結び、絡まったという感覚。けれど、瞳の奥には安堵や歓喜が混じっている訳でもなく、一番近い感情はきっと納得、ああ水木だ、そんな諦観した納得。それなのに、迎えに行った、という言葉がここまで適切に当てはまるなんて信じられない。本当に迎えに行ったわけではないはずなのに、警察か学校でぽつねんとしている子どもを迎えに行く親もきっとこんな気分なのだろう。
「水木ー」
「お前、何やってんだ」
「夏を感じてる」
「言っていいか」
「はい」
「スベってるぞ」
「……アイスの方が良かったかな」
当たり前のように俺を隣に座らせて、緑茶を吸い込んだ。すこし長く、余ったストローがくるくると風車の様に回転していく。唇を突き出して少しだけそのストローに縋り付いて、二三度チャレンジした後は、指先でストローを固定する。
汗ばんだ髪の毛を片方の手で除けながら、俺に紙パックを差出した。
「いらねえよ」
「やっぱり?でも手持ちないから何も買えないよ」
「いーって」
「っていうか、水木も買い物?」
「ちげえよ、帰り車乗ってたらお前のこと見えて」
「さっき?」
「ああ、まぁさっき」
「ふうん」、ストローをわざとくるくる回転させながら、星も見えない真っ暗な空を見上げた。
「わざわざ来たの」
「おぉ」
「大丈夫なのに、っていうか家ここの裏手なの知ってるでしょ」
「裏手だったらこんな時間にいていいってことも無いしな」
「いま何時?」
「……一時、四十五分」
「帰る」
「帰れ」
そういえば、いつもしているはずの腕時計も見当たらない。携帯を握りしめた指先に、鍵をつけたキーホルダーのリング部分を通しているのが見えた。
「迷惑なお客さんしちゃった」
「ほんとにな」
「水木は?」
「お前送って家帰る」
「……はーい」
抵抗の声を上げないのは、俺がわざわざ迎えに来たからか、気が抜けているからか。
ふらり、と立ち上がって歩き出す。確かに暗いねえ、紙パックを飲みながら、ヘタクソな息継ぎをしながら彼女はなにやらぼやく。当たり前だろ、俺は鼻で笑って見せるけれど、飲むのがヘタクソだから呼吸がうまくいかないわけじゃないこともわかっていた。
俺なんかに気遣うことなんて止めて聞きたいこと聞けばいいだろ、とカッコつけて言ってみたくなる。俺が悲しいことと、彼女が悲しいことと、その二つは一生同じではないはずだから。
「みんな元気だよ」
「みんなって」
「ああ、ゲゲ郎とか鬼太郎とか、まあ、みんなだ」
「うまくいってるの」
「なにも聞かないからな、そうなんじゃないのか」
「……そうなんだ」
あんなに一人っきりで、ベンチで、ぼんやり、子どもみたいに、白い光に照らされていたはずなのに、こういうときだけ気丈に笑うから。まるで俺が浅ましい人間で、意地悪で、くだらないことを言いに来たみたいな、そんな気持ちにさせられた。
先程彼女が発した、裏手、という言葉はあながち嘘ではなく、これだけの会話でマンションの目の前にたどり着く。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
「なぁ、」
「なに?」
「休み、長く取れないのか、出来るだけ長く」
「なんで」
「お前と、どっか夏っぽいとこ行きたいから」
誰も通らない細い道端で、俺が言った言葉はじっとりとした夏の空気におぼろげに溶けていく。
彼女は、すうっと目を細める。
初めは笑っているのか、品定めをしているのか、と思った。いつもの、掴みどころのない女、いつもの、俺じゃないヤツ、でも俺と親しいヤツを馬鹿みたいに好きな女。
細めた目が、まるで人形のように本当は大きな瞳だったのだ、と俺は思い出す。
ぽろり、と深夜のテレビショッピングで流れる真珠のような大粒の涙が、彼女の瞳からひとつ、ふたつ、転がった。