嘘じゃァありませんよ、と呟いたゲタ吉を見てなんとなく悪い気もしたけれど、私はそれに返す言葉が浮かんでこなかった。
つい最近、バンドマンのように(これは偏見)後ろでちいさく縛った彼の髪形を「よく似合っているけれど更に遊び人みたいになった」と評した次に彼と会うと、彼は左目こそ依然として隠れてはいたものの、後ろ毛を縛らなければその伸びた髪で隠れていたピアスがなにもせずとも見えるほど髪が短く、そしてミルクティーに近いグレーアッシュだった色もぐっと暗くなっていた。
「イメチェン?衣替え?」
「繭子さんがチャラいと言うから切ったんですケド」
「あ、そうなんだ」
「信じてないでしょ」
「信じたほうがいい?」
そう尋ねると、ゲタ吉は「さぁ、どうでしょうね」と視線を逸らしてやけに大きな声で言ってのけた。わんわん、と個室の居酒屋で彼の声は響いて消えないのと同じように、彼の眉間のしわも消えることはない。
田中ゲタ吉という男は贔屓目に見る必要もない程度には、顔が良く、背が高く、気遣いが出来、顔見知りも多いように思う。優れていない面を上げるとするならば、常々金欠であることをボヤいていることだとか、やけに私に連絡をしてくることだとか、こういった店で私が困るようなことを素面で言うところだ。
友人の友人、として初めて会った瞬間から彼はやけに私に近づいてきた。友人や、その場の人間が直ぐに気付くような甘い真似はしない割に、いつの間にか隣にいる、だとか、席を立って戻る際に話しかけられる、だとか。最終的には「この後どこか、」とまだ縛れるほど伸びていなかった髪のゲタ吉が私に言ったので笑ってしまった。「タナカさんに声かけられて喜ぶ子なんてごまんといると思うよ」、と、それは彼に対してのはっきりとした拒絶。席に戻って、ウーロンハイを注文した後、中々戻ってこないゲタ吉のことなんてすっかり忘れてその夜は終わる。
気まぐれな、確かに顔も、不思議な雰囲気の男の子だった、と車の中でぼんやり考えて、お風呂に入り、携帯を開くと、連絡先も教えずに帰ったはずなのに、彼は友人から私の連絡先を聞き出し、平然と連絡をしてきたのだ。
「あんまりさ、自棄にならない方がいいよ」
「……何ですいきなり」
「だって、ゲタ吉に声かけられて喜ばなかった子なんていないでしょ」
「いや、それはまァ……、いろいろ」
「私が断ったからって、見る目がない女なんだって思えばいいじゃん」
「見る目はあるでしょう、普通、声かけられて一回でついてくるとかあり得ないですし」
「じゃあなんであんな声のかけかたしたの」
「顔がタイプだったので」
手を伸ばし、グラスに入っていた鍛高譚を飲み干した姿を、子犬のように茶色くまん丸な瞳で茫然と見つめるゲタ吉。見せつけるように、っはーーーーーーーー、と長い息を吐きだすと、テーブルに伏せをしたゲタ吉が「今はそれだけじゃないですケド」と付け足した。御新香みたいな、本当にちょっぴりの付け足しだ。誤魔化しにも、気休めにもならない、フォローになると思ったら大間違い。
一体いつになったら幻滅してくれるだろう、いつになったら私がゲタ吉を好きでないと分かってもらえるのだろう。ちゃんと好きになってしまう前に、ちゃんと距離を取っておかないと。
空っぽのグラスの中から透けて見える歪んだテーブルの木目をぼんやりと眺めながら考えた。結局ホイホイと二人きりで飲んでしまう自分もよくないのだと分かっている。人のことを好きになったことがないと言ったら嘘になるけれど、好きになったことがあると言ってもそれはきっと嘘になる。空っぽのグラスはこれから代わりがあって満たすことができるけれど、私の空っぽの器はきっと、いつになっても満ちることはない。
くだらないそんな説明をゲタ吉にする気が毛頭なかった私は、テーブルに置かれたお冷を一口だけ飲んで、ようやく伏せをやめたゲタ吉を見つめた。
「もうやめて。あぁ、それとも一回付き合ったら、幻滅してくれる」
「それは無いですね」
「無いって」
「顔だけ好きだったら正直こんなに飲みだけ付き合うなんてことしませんよ、繭子さんのこと、ほんとうにおれ」
「ちょっと頭冷やした方がいいよ」
空っぽだ。グラスの中の水をすべて飲み干すと、頭がキンキンと痛んだ。
聞こえたゲタ吉の声はやけに、想像をはるかに超えるほど、切々とした声に聞こえて、けれどもそんなのはきっと幻想で。
頭を冷やすべきだと彼に進言しているくせに冷やしているのが自分の頭ばかりなのも、気のせいだ。
まだほとんど減っていない氷の入ったお冷に彼が手を伸ばして言った言葉すら、空耳に思えた。けれど、やけに大きい彼の手の平が、真に迫ったまなざしが、空耳だという妄言を力で否定してくる。
脅迫に近い言葉、短く切られた彼の髪が濡れるさまを、ピアスから滴る水を想像して、私はいつの間にか、謝罪の言葉を口にしていた。
「言い過ぎた」と告げると、彼はグラスから手を離して「いいですよ、もう慣れたし」と、へたくそに笑う。
「……じゃあ、どうしよう」
「付き合うっていうか、もうちょっと、俺のこと、信用するっていうか、」
「……ううん」
「えええ、俺、そんな信用ないですかね?」
「いや、っていうか、恋愛とか、苦手だし、よく分かんないし」
付き合わないけどいい感じみたいな関係をキープするってこと、と彼に問いかけると、一度瞬きをぱちりと動かした彼が急に微笑んだ。
「え、」
「いや、繭子さんらしいなと思って」
「どこが」
「顔は女の子らしい、って感じなのに、全部言葉にして決めないと納得しない頑固なところ」
「顔は関係ないし、頑固なのも生まれつきだし」
「そういうとこがいいなと」
「あー……はい」
「次はさ、デイトしましょう。どこか行きたいとこあります?」、メニューを差し伸べながらゲタ吉が言い出した。「デェトって付き合ってなくてもするの」「する、付き合う前もデイトって言う、たぶん」、メニューを突き返すと彼がまた唇を上げた。メニューを見ないことになのか、今しがた行った会話に対してなのか分からないけれど、先程の差し迫った表情はどこにも見当たらない。デェトとは、で、一度グーグル先生に聞いてみようか、と考えた私を知ってか知らずか「ちゃんとデイトっぽくしましょう」とゲタ吉が笑った。
多分、デェトでは居酒屋でただ喋るだけじゃなかったり、飲み物も食べ物ももっとしゃれていて、奢りでも割り勘でもなかったりするのだろうか。
「……難しい」
「俺がデイトプラン考えますか」
「お好きにどうぞ」
「軽い感じで、一日休みの日、俺と遊ぶくらいの気持ちで来てください」
「はい」
「……デイトっぽくするのは俺の仕事なんで」
私に、というより、自分にそう言っているようなゲタ吉の声に「なに気張ってんの」と私が笑うと、「いやぁ、こんなん緊張するデショ」とゲタ吉も困ったように笑い出して、グラスに入っていた液体をすいすいと飲み干した。
一瞬、目があって、「注文しますか」と放ったゲタ吉の声に頷いた私は、今、一番、ゲタ吉に、世界に、馴染んでいる錯覚を覚えている。