グラスの中で溶けた氷がカランと音を立てた。もう季節も秋になるというのに店内の冷房はすこしばかり強く、入ってきて早々に飲み干してしまったアイスコーヒーも相俟ってわたしの身体を冷やしている。それ寒くねえの、と半袖のシャツを着たわたしに目の前でホットコーヒーを啜りながら呟く友人は、何が面白いのか半笑いで、高そうなシルバーフレームのサングラスのブリッジを中指でくっと押し上げた。
「それ、真ん中を一本指であげるひとは恋愛が苦手なんだって」
「は?なにが」
「眼鏡」
「なに、心理テスト?」
「まあそんなとこ」
「ふーん」
「寒いね、たしかに」
そんな格好してっからだろ、と眼鏡の話は気にしていない風を装って、次の話題へ淡々と進んでいく。ちなみにこの男は間違いなく恋愛下手である。恋愛下手というかコミュニケーション下手で、心を開くのには時間がかかるが、閉じるのは異常にはやい、非常に面倒くさい男である。ただこうして定期的に会って話をする関係性なのだから、わたしにはある程度心を開いてくれているのかもしれない。というか、一度閉じかけた心を無理やりこじ開けたのは他でもないわたしであるのだけれども。
「今日もうちょっとあったかいと思ってた」
「だからってカーディガンくらい持ってくるだろ、秋だし」
「秋って認めたくないじゃん、なんか」
「うわ、なんかバカっぽいそれ」
「うるさいよ大人気インターネット配信者さん」
「褒めてると見せかけて貶してるよなそれ」
この人と別れて三度目の秋が来る。現在の技術で言えば火星に行って、一年ほど調査を実施して、帰って来るくらいの時間だ。もうそんなに経つのか、という思いと、まだそれしか経っていないのか、という思いがちょうど半分くらいずつ心に居座っていた。友人から恋人になって、また友人に戻った、ただそれだけのことだけれど、間で変わった関係性をなかったことにするのは難しい。世間一般ではわたしたちの関係性は元カノ、元カレであり、それ以上でもそれ以下でもない。それは言葉にした途端安っぽく、それ以外にこの関係を表す言葉が見つからないことが、なんとなく癪だった。
「彼氏、できた?」
「……なにそれ」
「ん、珍しく指輪してっから」
「ああ、べつに、自分で買ったやつ。珍しいっけ」
「嫌いなんだと思ってた、つけんの」
「そう?」
「俺があげたのもつけてなかったし」
「……なに急に」
今でも大切にとってある、トパーズの石がついた華奢な指輪は、誕生日に隆文からもらったものだ。なんだか照れ臭くて、一緒にいるときはあまりつけていなかったかもしれない。しっかり覚えていないあたりわたしも無意識だったのだろう。なんとなく思い出しただけ、と気まずそうな隆文が伏し目がちにコーヒーを啜って、わたしももうほとんど水しか残っていないグラスを勢いよく傾けた。それから中指を鼻の上あたりにスライドさせてしまって、今は眼鏡ではなかった、と気づいたあたりで、コーヒーを飲み干した隆文と目が合う。
「それ、真ん中を一本指で上げる人は恋愛が苦手なんだってよ」
「……うるっさい」
「ふはっ、耳真っ赤ですけど」
「あー、もうサイアク」
「苦手同士、ちょうどいいんじゃね」
「……どういういみ、」
さあ、と口の端を緩めながら首を傾ける隆文を見て、やっぱりわたしたちに白黒はっきりした言葉は似合わなくて、でも今はそれでもいいか、なんて、いい歳して甘ったれんな、と言われそうなことを思ってしまう。ふと窓の外に視線を向けると、今朝まで降り続いた雨はすっかり止んでいた。雨でも晴れでもないくすんだ灰色の空は、なんだか今のわたしたちにぴったりだ。
後日、わたしの指に光るトパーズの指輪を見て「やっぱ似合ってるわ」と照れ臭そうに笑う隆文との関係性が変わるまで、あと少し。