もうはたらくな



 あぁもう自分勝手なヤツ。何度言ったら分かるんだ。俺はこいつの母親になった覚えはない。ましてや面倒を見てやるなんて言った記憶も全く。
 『春くんお腹すいたよー』と文字だけで伝わる気怠さに、こっちも覇気を奪われる。メッセージに返信してすぐにやって来たと思ったらめちゃくちゃ元気だし。なんだこれ。情緒不安定か。

「でね、ちょうオシャレなの!全部のメニューに指定農家のオーガニック野菜を使ってるとかで。すっごい色のソースかかってて!前菜からいちいち説明されたんだけど、わたしそのオニーサンによく覚えられますねって言っちゃったもん。それでね、なんてったってメインディッシュのお肉がまぁちっちゃいの!これ!ほんとサイズがこれだから!」

 人差し指と親指の腹をくっつけて丸を作り、その穴から俺の方を覗いている。大袈裟だろ、そう思うけどいちいち言うことはしない。言ったらまた面倒くさくなるから。あーはいはい、と軽く流して出来上がったペペロンチーノをテーブルに置くとの目がぱっと輝いた。

「ニンニクたっぷり入れてくれた?」
「めちゃくちゃ入れた」

 いただきます、と丁寧に手を合わせる。無邪気で無神経に見えるけれどもきちんと教養はある、こいつのこういうところは悪くないと思う。フォークではなく箸で思いっ切り、いつもと変わらない食べっぷりに安堵したような、なんとも言えない気持ちになった。

「はーあ!やっぱり上品かつカタカナばっかりの料理の後は春くんの手作りパスタに限る!」
「なんか失礼だな。つかペペロンチーノもカタカナだし」
「細かいことは気にしないの!あぁ〜めちゃくちゃおいしい」

 おいしい、を全面に押し出したの笑顔につられるように俺も一口食べた。まぁうまい、うまいんだけどニンニクを希望通り多めに入れたおかげで鼻を抜ける香りどころか口の中も一瞬でニンニク一色に占領される程度には風味がやばいことになっている。もう一つ欠片が余って剥く時迷ったけど、あれは入れなくて正解だったらしい。手を止めることなくひたすら口に運んでいくを見ていたら、こんな悩みも取るに足りない些細なことなんだろうけど。

「おい、よく噛んで食えよ」
「お母さん!」
「ちげぇし」
「……あのさ春くん、笑わないで聞いて欲しいんだけど」
「なんだよ」
「絶対笑わない?」
「笑わないって。なに」
「別れた、彼氏と」
「は?」
「前々からなにかしら思ってたんだよね。で、どちらからともなく、みたいな。あぁこれ間違いなく終わったなって感じ。住む世界が全然違ったんだよね!あっちはお金かけるほど料理はおいしいみたいな考え方だったし、わたしはとにかく自分がおいしいと思うものが好きだし。高級なレストランも彼がいないと行かなかったけど、疲れちゃったなーって。あともうひとつ気付いたの」
「……何に」
「春くんの料理はおいしいなぁって」

 箸を止めたが顔を上げてやわく笑う。俺はというと、このタイミングでの一言に驚き過ぎて何にも言葉が出なかった。どんな顔をしたらいいか分からなくて、無理に笑おうとして口元が引き攣った中途半端な表情になったくらいだ。俺の不器用な笑顔を見て一瞬目を細めたは視線をもう殆ど残っていないペペロンチーノの皿に向けて、端っこにぽつんと残っていた鷹の爪を口に運んだ。

「それと、あと何回春くんがわたしに料理作ってくれるかなあって考えたら、レストランで食べてたお肉がパッサパサで味気なく感じたの」

 箸でニンニクの欠片を挟んでから、いきなりごめんね、と眉を下げて付け加える。いや急に言っといて困るなよ。

「……たまには俺もお前の料理食べたいんだけど」
「……春くんわたしが料理下手なの知ってるじゃん」
「練習したら絶対上手くなるって」
「食べてくれる?」
「当たり前だろ」
「ちゅーしてくれる?」
「は?ニンニク臭いからやだよ」
「ケチ!春くんだって同じもの食べてるからいいじゃん!」
「歯磨いてからな」
「磨いてくれる?」
「俺はお前の母親か!」
「ううん。好きなひと」

 あまりにもド直球で来るものだから返す言葉がなかった。ずっと好きだった俺の気持ちとか今までの苦労なんてお構いなしに壁を乗り越えるどころかぶち壊してぶつかってきて、目の前で笑っている。食べ終えたはまた手を合わせて元気よく、ごちそうさま!と言った。

「また作ってね!」
「……洗い物手伝うこと」
「了解!」

 皿を下げてふたりで洗い物をしているとき、つい我慢できずににキスしてしまった。唇が離れた瞬間に、ニンニクやば!とお互い様なことを声に出して笑うから、なんというか、本当に自分勝手なヤツ。