告白強要罪につき逮捕します



 目が覚めたら、昨日と同じ服に身を包んだまま、ひとり自室のベッドにいた。
 閉め切った磨りガラスの引き戸から微かに見える、リビング代わりにと使っている小さな部屋から漏れ聞こえるテレビの音。ああ、つけっぱなしで寝ちゃったのか、と反射的に考えてみたけれど昨晩は飲み会に出席していたはずだし、そもそも帰りの記憶がほとんどない。目が覚めてから何分経ったかはわからないけれど、起き上がる気力もないまま大の字の体勢でただぼんやりと天井を見つめていた。
 いま起き上がったら頭が痛むだろうか、なぜか身体の節々も痛いし。脳内でつらつらとそんなことを考えていると、わたしの顔を真上から覗きこむ、見知ったと言えどそれはあくまで互いに面識がある程度で別段親しくはない顔。まるで当たり前のようにこちらを見つめて、眉ひとつ動かさず確認のような言葉を紡ぐ。

「あ、起きた」
「……えーと」
「俺っす、亀井、分かります?」
「いや、さすがにわかるけど」
「起こした方がいいか、あ、まず水か、」

 ゆるい敬語と、小さな、わたしに向けるよりもずっと低い声の独り言を駆使して呟いている目の前の見知った男の子は、まるで自分の家のようにわたしの部屋を行き来している。よろよろと起き上がって覚束ない足取りながらも彼を追うような形でキッチンへ向かった。彼が手に取って水を注いでいるマグカップをなるべく丁寧に自分の手におさめて、繰り返しうがいをしていると徐々に記憶が蘇ってくる。
 昨日は、亀井くんを含めた数人での飲み会で、内の一人がわたしの得意ではないアルコール度数の強い酒を何度断っても勧めてきたのだ。すっかり出来上がってしまった酔っぱらい相手にひとりで断るのにも限界があり、嫌々一杯だけならばと付き合った。殆ど半分も飲んでないと思うけれど、元々自分の味覚に合わない種類の酒だったせいかそれだけで吐き気を催して動けなくなってしまい、お座敷で幸いと言わんばかりに下手の方で壁に凭れるようにしてぐるぐると回る頭と戦っていたのだった。
 そこから記憶は途切れていて、そうして、気が付いたら朝だったわけだ。

「……わたし、店で吐いたりとかしてない?」
「最初に気にすんのそこっすか」
「だってどうやって帰ってきたのかはわかるじゃん、亀井くんには迷惑かけちゃったみたいだけど」
「べつに迷惑とかないですけどね」
「吐いてた?なんかお皿とか破壊した?」
「っはは、冠城さんて、ほんとは酒癖悪いとかですか?一回寝たら全く起きなかっただけっすね」

 キッチンに並んで、お互いシンクに身体を凭れ掛からせて顔を見合わせる。
 亀井くんは、現対本部の中では特に珍しくもないけれど加藤くんほど仕事に情熱があるわけでもなくマイペースで、また刑事部の本山さんに懸想しているらしいという話をどこかで聞いてから、わたし個人が彼と仕事以外で正面からきちんと話すことが殆どなかったものだから、今のこの状況というのがとても新鮮だった。年下の男の子と何を話せばいいのかという気持ちで少し後ろ向きな部分があったけれど、見た目だけで言えばわたしよりずっと洗練された大人っぽさや落ち着きを持っている。だからこそ、年齢の割に成熟していないわたしは、亀井くんを深層心理の部分で苦手としていたのかもしれない。
 何頭身なのかわからない、恐ろしいほど背が高く足が長く顔が小さく無駄のない顔立ちをした亀井くんは、捨てられた子犬のような瞳をしたまま視線をわたしから離してくれない。なんだか蛇に睨まれた蛙のような気持ちになりながらも蛇口を捻ってマグカップになみなみと水を注いで一気に飲み干すと、彼は少しだけわたしから距離を取って口を開いた。

「鞄、そこに置きましたから」
「ありがとう、っていうかなんでうちにいるの?」
「……あー」
「ごめん、今の言い方、良くなかった。責めてるんじゃなくて、なんていうか、普通こんな面倒なことになったらさっさと帰るでしょ」
「俺が立候補したんで、冠城さん送るって。ま、こんな言い方あれっすけど、ラッキー、みたいな」

 平生眠そうな目をしているから実際にはどうかわからないものの、昨晩に顔を合わせた時よりも僅かに顔にじんわりと疲れが滲んでいる。それでも、ラッキー、と言って微笑むと一気に見た目が幼く見えるから不思議だった。微笑みというよりも、はにかんだような笑みで疲れが残った顔でもとても可愛らしく見える。目を伏せて黙っているだけで同い年くらいには見えそうなのに。まだぐらぐらとする頭の中で、「ラッキー」という言葉に付属した彼のはにかんだ顔について考えながらまた水を一杯飲んだ。すげえ飲むな、とまた低い声で小さく呟いた亀井くんはひどく眩しそうな顔で眉を下げて笑う、くしゃりと、小さな子犬のように。
 シンクの縁に片手を乗せて、少し手持無沙汰なふうにその手を動かしながら、また彼はわたしに焦点を合わせる。あまりにも真っ直ぐな視線から逃げたくなってしまって、ほぼ反射的に空のマグカップに口をつけてしまうけれど、流石に言葉と言葉の隙間を埋める誤魔化しの手段として水を飲むという行為にも限界が来ていて、マグカップをそのままシンクに置いた。

「時間、大丈夫?」
「普通に休みなんで」
「そっか。でもなんかお礼させてね。……っていうか、昨日タクシー乗った?お金払うわ。ちょっと待って」
「あーいいっす、いいっす、お礼だけください」
「なに?そんな何十万のものとか買えないよ」
冠城さん、彼氏いないって聞いたんですけどマジっすか」
「……マジだけど、それがなに」
「じゃ、今度いつでもいいんで冠城さんの休み、俺にください、そんだけでいいんで」

 亀井くんはそう言ってさっさとリビングに向かって歩いていく。わたしが起きるまでかなり寛いでいたのか、よっぽど時間があったらしい、戻ってくるまで彼が自分の荷物をいくつも鞄に押し込んでいるのがちらりと視界に入った。荷物をまとめ終わったのか鞄を肩にかけて、片手に携帯、反対の手にペットボトルを持っている。

「じゃ、今日は俺帰るんで、また連絡します」

 ペットボトルを鞄に、携帯をズボンのポケットに押し込んで、名残惜しさのかけらもなく彼は玄関に向かって歩みを進めた。

「あのさ、」
「はい?」
「それを言うために待ってたわけ、ではない、よね」
「それもあるけど、普通に心配だったんで。あと、こうでもしないと中々二人で話せないから」

 こちらに背中を向けて靴を履いている姿をじっと見つめる。わたしの靴の横にある彼の靴がひどく大きい。さっさと靴を履いた亀井くんは、退散、と言わんばかりにドアノブに手をかける。寝起きのうえに二日酔いでろくに頭も回らず、きっとひどい顔をしているであろうわたしは半ば呆然としてかける言葉もなく。あとできちんとお礼の連絡をしないと、もう一度ここでもお礼を言わないと、そう思っているうちにドアを彼は開け外界に向かって一歩足を踏み出した。
 背中を向けたまま「お邪魔しました」と言う声が聞こえたから、急いで「あ、あの、ほんとにありがとね」と声をかけると亀井くんはくるりとこちらを向いて、まるでどこぞの漫画にあるライバルキャラのようにびしりとわたしを指差した。

「お礼、デートってことなんで、他の人とか誘うのやめてくださいね」
「……あ、うん」
「じゃ、おつかれっす」

 ぱたんと余韻を断ち切るように音を立ててドアは閉まり、へらりと表情を緩めてひどく満足そうな笑みを浮かべた亀井くんの顔だけがぼんやりと頭の中に残っている。サンダルに片足を突っ込んで、腕を伸ばして玄関のドアにチェーンを掛け鍵を閉めた。
 先程まで亀井くんがいた痕跡が果たしてこの部屋にあるのかわからないまま、ふらりとリビングに足を向けるとつけっぱなしのテレビから音声が流れている。壁に掛けた時計に目をやると時間はもう殆ど昼になっていて、つまるところ彼はほぼ半日をわたしの部屋で過ごしたということだ。彼はどんな気持ちで、どんな表情で、このちいさなソファに腰かけてテレビを見ていたのだろう。
 彼の名残を辿るようにソファに腰を下ろし、未だにくらくらとした頭を整理するように目を閉じると、亀井くんのはにかんだ、初めて見るひどく幼い微笑みが急に瞼の裏いっぱいに浮かんだ。次の休み、次の空いている日、二人で、デート。告げられた言葉を整理するには、まだ脳のキャパシティが足りない。恐らくまだ、酔いからも眠りからも完全に覚めてはいないのだろう。
 ただなんとなく、良くも悪くも亀井くんはわたしに手に負える男の子ではないのだろうな、ということは理解できた。それでも、手に負えない亀井くんのことをもっと知りたいかもしれない、と思ってしまっているわたしはきっとひどく単純で愚かで、けれど、もう後戻りはできないところまで来てしまっているのだろう。
 ソファに身体全てを預けて目を閉じる、そして、はにかんだ彼の顔を、なめらかな彼の言葉の選び方や声のかけ方を思い出す。デート、という言葉を喉の奥で繰り返し繰り返し転がして、彼が残していった少しの会話と見えない時間に、かんたんに絆された単純なわたしを亀井くんが笑ってくれたらいいな、なんて思った。