※夢じゃない

 大好きだったおじいちゃんが死んだ。
 それはまだわたしが幼稚園児だったときのことで、あの頃はまだわたしも幼くて記憶は曖昧だけれども、火葬のときの光景は今でも鮮明に思い出せる。お母さんは真っ白なハンカチで目を抑えながらもぼろぼろと涙を流していて、わたしはふたつほど歳の近い従姉を必死に宥めていた。
 泣いたらおじいちゃんが悲しむよとか、夜にこわい夢を見ちゃうよとか、涙が渇れちゃうかもしれないよとか、とにかく滅多に泣かなかった筈のいとこがぼろ泣きしているのを見て、わたしは焦燥して気が動転していたんだと思う。
 おじいちゃんはお母さんよりもいとこのかすみちゃんよりもわたしを可愛がってくれていて、内気なくせにやんちゃなわたしにいつも構ってくれていた。あるときは家から5キロ以上も離れた幼稚園まで自転車で迎えに来てくれたこともあったし、一緒に長い長い畦道を散歩したりもした。今考えれば、あんなに元気だったのになんであんなに早く死んでしまったのだろう、と思うのだけれども。確か、死因は癌だったような気がする。おじいちゃんは私の家族で唯一タバコを吸う人だったから、たぶん肺癌だったのかもしれない。
 とにかく、おじいちゃんが死んだことの自覚というものが当時のわたしには全くなくて、いつかおじいちゃんは帰ってくるものなのだと勝手に思っていた。我ながら馬鹿だと泣きたくなる。
 幼稚園児だったわたしは小学校に入学して、けれども当然ながらおじいちゃんが帰ってくることはなかった。確か、小学校高学年くらいになってやっと、仏壇の上に飾られたおじいちゃんの写真の意味を理解したように記憶している。けれどもどうしてか実感は湧かなくて、とにかくおじいちゃんがまたわたしの名前を呼ぶようなことは二度とないんだと思って、心臓が締め付けられた気がした。だけどやっぱり、涙は出なかった。
 そしてわたしが高校二年生になってすぐに、母方のおばあちゃんが亡くなった。享年九十六という、確かおじいちゃんよりも長生きだったように思う。真っ白な棺の中で眠っているおばあちゃんの顔を見て、涙が零れた。だけど不思議なことに告別式や火葬の時には涙はこれっぽっちも出なくて、周りが泣いている中、わたしだけが隔離された空間にいるようで吐き気がした。とりあえず親の体面を守るためにも悲しそうにしていたし、わたし自身悲しくないわけがなかったわけだけど、やはり実感が湧かないのは事実だった。
 つまるところ、わたしは人の死に目に直接会ったことがない。目の前で人が命を落とすところを見たことがない。気付いたら、気が付いたら、わたしの知らないところで亡くなってしまっていた。
 実感が湧かない理由はきっとそれだ。
 恐らくわたしが高校を卒業して家を出て社会に出て、自分で食べていけるようになった頃にはきっとわたしも今よりもっと涙もろくなっているかもしれないと。それでも多分、わたしは両親の最期を看取ることさえできないんだろうと、思っていた。
 だからきっと、これからもそれを知ることはないんだろうと、思っていた。
 思っていたのに。

2017.07.15
「蝋の両翼」の視点別夢「イカルスの献身」の冒頭補完。あまりにも私的な話になってしまったのでがっつり削りましたが、そうすると夢主が「置いていかれることをおそれている」ことの理由が不明瞭なままになってしまうな、と思ったので。