大人が二人で入るには少し狭い浴室で椅子に座る快斗の膝の間に腰掛けて、彼に頭を洗われている自分が鏡に映っている。それをぼうっと見つめながら、仕事の疲れが溜まっているせいか抵抗することもなく素っ裸でされるがままのわたしに、彼はもっと恥ずかしがってくれなきゃつまんないんだけど、と不満顔だ。
「郁ちゃ~ん、きもちいい?」
「……なんでそんな含みのある訊き方すんの?」
「えー、何それどういう意味?俺そんなつもりないんだけどなぁ〜」
「嘘つけ、絶対狙って言ってるでしょ」
「深読みしすぎだろ?」
「……ハァ、わるうござんした、わたしがやらしい女なだけでした」
「んふふ、お痒いところはございませんかー?」
「ございません」
「んじゃ、流すから頭こっち倒して」
最初からそう訊けばいいじゃん。そんなことを思いながらも、まるで美容室みたいな至れり尽せりっぷりに、なんだかんだで疲れは癒されていくから困る。最初に二人で入ることになった際に決めた、身体は自分で洗うから頭だけで大丈夫という頑なな約束を大人しく彼が聞いてくれたから安心した。それでもまだ、浴槽に二人でぴったりとくっついてる間は油断ならないのが彼の恐ろしいところだ。こっちが意識すればするほどそこを付け込まれるのは今までの経験で分かっているから、わたしはあえておおっぴら作戦に出たのだけれど、それが功を奏したようでゆっくりとお湯に浸かりながら彼の膝の間に無事に収まることができている。
「今日DVD借りてきたんだけどさ、上がったら見ねえ?」
「えー……すぐ寝ないの?」
「えー、すぐ寝たいの?」
「そういう意味じゃないからね?」
「わかってるしー、郁は俺のことなんだと思ってんの」
「18禁の擬人化」
「失礼な」
「それこそDVDだっていっつもなにかしらえっちぃシーンあるやつ借りてくるくせに何言ってんの」
「今回のはほんまにそういうんじゃないから!ちゃんとおもしろいやつ!」
「信用できない」
「てかえっちぃシーンってなに?ラブシーンだろ?かわいいなぁ」
「えっちぃことに変わりないでしょ……」
「まーまー、髪乾かすのもトリートメントもしてあげるしなんなら途中で寝ても起こさんからさ、どうしても見たいやつなんだって」
その言葉に少し揺らいで、そこまでやってくれるのならいいか、とおずおずと承諾する。嬉しそうにちゅ、とうなじにキスしてきたからそれには鳩尾に肘を入れといたけど。何事もなくお風呂を終えて二人で浴室から出れば、快斗はいつもみたいにちょっかいをかけてくれることもなく別人みたいに手際よくわたしの髪を乾かしてくれて、テキパキと鑑賞の準備まで済ませてくれたから少し見直した。身体が冷えないようにと色気のない腹巻とモコモコ靴下で完全防備をしたわたしはキッチンで二人分のホットミルクを入れる。これで準備は万端である。既に欠伸が出つつあるわたしに快斗は早くねえ?と呆れたように笑ったけれど、髪の毛を触られると眠くなるのは仕方ないから許してほしい。まぁ見てたらすぐ目覚めると思うけどさ、楽しそうにそう言いながらプレイヤーにディスクをセットして、先にソファに座っていたわたしの隣に腰掛けた彼。そんな面白いの?これ。そう尋ねたわたしに、まぁ見とけよ、なんて。今思えば、なんでそれを怪しまなかったんだろ、相手はあの快斗なのに。
「……え?」
「ん?」
「……ねえ、これ」
真っ暗なままで不穏な雰囲気の画面に思わず不安げに快斗のことを見ると、どうした?と楽しげにわたしと目線を合わせた。まって、待って待って。これ、どう見ても。
「、こ、これ、ホ、ホラーじゃん、」
「そーだよ、ずっと見たかったんだよなぁこれ」
「き、聞いてない!ていうかわたしがホラー無理なの知ってるでしょ!?、ひ、!!!」
「おっと」
なんの予兆もなく急に画面に張り付いた白塗りのあからさまなそれと、大きな音にわたしは思わず強く彼にしがみついてしまった。楽しそうに笑う快斗に、もしかしてもしかしなくても、最初からこれが目的かこの野郎、と歯をくいしばる。それでもとても画面を見ることのできないわたしは彼の身体にしがみついたままの体勢を解くこともできない。
「わ、わざとでしょお、」
「ん?そうだけど?郁いっつもツンツンしてるからこうでもしないと甘えてくれねえし」
「こ、これ、これは甘えるとかとはちが、ぎゃっ!!!」
「もー、ちょっとおっきい音鳴っただけだろー」
今にも泣き出しそうなわたしにそんな嗜めるみたいなことを言うくせに、終わるまでずっと俺にくっついてていいからな?なんて言う声はあまりにも満足げで、楽しそうで、甘ったるくて、悔しい。画面には少しも目をやっていないのに声や音だけで十分怖いし、その度にやだぁ、なんてぐずぐずした声を出してしまうのが恥ずかしい。だけどこの男はそれすらも楽しんでいて、あろうことか楽しそうに画面に映っているのであろう状況を説明し始めた。そういうの、いらないってほんとに。半泣きでぎゅっと擦り寄って、音や声が聞こえないように快斗の膝にかけられたブランケットの中に潜り込んだ。しばらくそのまま震えていれば快斗はブランケットの中のわたしの頭をくしゃくしゃと撫でてくる。落ち着いた頃にそっと顔だけ出せば、眉を下げてごめんごめん、やりすぎたな、なんて顎を撫でながら謝ってくるから、しつこく拗ねていれば上からシャワーみたいにキスが降ってきた。いやもうこの人映画見る気ないじゃん。すっかりただイチャつくだけの空気が充満してきつつあったリビングで、彼がいつのまにかテレビの電源を落としていたことに、わたしは気づいていなかった。