ブロークン



 ザアと強い風が鳴る。桜吹雪にまぎれたうつくしい彼を見て、もう死んだっていいと思えたのだ。
 今年は暖かな春が急ぎ足でやってきたから冬場の冷たい風は所在なさそうにうろうろとして、かわりに麗らかな春風がさらさらと吹きぬける。早い春にはしゃいだ桜はちょうど満開だった。まるで彼の旅立ちを祝福しているようだ、季節にまで愛される彼が、俺はなによりも一等愛おしかった。

さん」

 卒業式を終えた後の通学路、学校へと続く一本道は学生でごった返していた。数多の人間の声、その中でも彼は俺だけに振り返る。人見知りが災いして高校生活の三年間、やはり友人の少なかった彼。とても信頼できる友人は数人いるようだけれど、その友人たちは彼を(おそらく俺のために)置き去りにしてしまったらしかった。振り返った彼の手には真っ黒い筒が握られている。俺の掌はからっぽだ。
 彼のこと。電車通学で、学校の最寄駅から七駅ほど下ったところが地元。片道五十分。バスケットボール部で、中学ではそれなりのプレイヤーだったらしいけれども、なにしろ同じ中学だったひとがいないのだからそんなことは証明のしようがない。二年生の後半くらいからは部活をサボって、放課後は俺と街をぶらぶらしがち。カラオケが苦手(彼は名探偵と違って音痴ではない、ただ苦手なだけだ)。数学はもっと苦手。人見知りで照れ屋で、慣れるとちょっとだけ乱暴。学年が一つ上。出会ったのが校外だったから先輩という感じはしなくて、終始さんと呼んでいた、進むことも戻ることもない、やさしくうつくしくいとおしい友人だった。
 彼は就職するのだという。生まれが京都だそうで、未だに抜け切らない訛りが少し恥ずかしいだとか、知人がひとりもいないからうまくやっていけるか心配だとか、内定が出たころから何度聞いたかわからない。話をおもしろおかしくしがちな彼が繰り返す話は、なにも飾りのついていない本当のはなし。俺はなにをすることも許されていないから、ただなんとかなるだとかうすっぺらい励ましの言葉をかけていた。
 我ながら不甲斐ない男であった。

「どしたん、快斗」
「あの」

 話したいことがあるんだけど。そう言うと彼は目を丸くした。今更話したところでどうもならない話だ。どうにもならないし、どうするつもりもない。生まれたときから俺は男であって、何の疑問もなく彼は男であって、だから彼の手を握ることすら許されていない。そもそもこんな無骨な手で、彼の白い手に触れることなんて神様が許すわけがない。俺が手招くと、彼は素直に引き返してきた。途方もなく寂寞とした心が胸からこぼれそうになった。

「なに?」
「あのさ」
「ん」

 俺は大きく息を吸い込んだ。麗らかな春だ。穏やかな絶望を引きつれた春がやってきた。出会いと別れをないまぜにして、桜の花びらもろともきれいに流してしまう風が吹く。これから俺が口にするひとことで、彼のうつくしさは揺らぐだろうか。たったひとことで、あの日の他愛もない会話も、この日の別れも、一切合財を俺は、覆そうとしている。